富士山の誕生
空から見た富士山。山頂の他に、右下にも火口が見える。これが宝永山で、1707年の宝永大噴火の際はこの宝永火口が噴火した
影富士。雲や大地に富士山の影が映っている
静岡県側から富士山を見ると、富士山麓右側にちょっとした出っ張りが見える。これが宝永大噴火の噴火口で、宝永山と呼ばれるもの。この噴火は宝永地震と呼ばれる東海・南海地震の同時発生から49日後に引き起こされた。
富士山はユーラシアプレート、北アメリカプレート、フイリピン海プレートという3つのプレートの接合面にある。このため地震活動が非常に活発で、そのストレスによって噴火が引き起こされると考えられている。
宝永大噴火を最後に噴火は起きていないが、噴火も東海地震もいつ起こってもおかしくないといわれており、富士山とその周辺部は世界最先端の観測機器によって日々監視されている。
富士山の構成資産1. 富士山頂周辺
富士山頂。左が剣ヶ峰で、建物は富士山特別地域気象観測所(旧富士山測候所)。火口の直径は約780m、深さは約237m。白く見えるのは万年雪だ
まずは山頂周辺の構成資産だ。
- 山頂の信仰遺跡群☆
- 大宮・村山口登山道(現・富士宮口登山道)○
- 須山口登山道(現・御殿場口登山道)○
- 須走口登山道○
- 吉田口登山道●
砂走り。走るように快適に下山できる
火口周辺では最高峰・剣ヶ峰をはじめとする八峰が祀られているほか、虎岩、釈迦の割石、火口棚などの名所がある。火口を一周してこれらをお参りする巡礼を「お鉢巡り」という。
山頂には登山道を登っていくことになる。登山道はいずれも浅間神社を起点としており、富士山本宮浅間大社を起点として村山浅間神社を経由する大宮・村山口登山道、須山浅間神社を起点とする須山口登山道、富士浅間神社を起点とする須走口登山道、そして北口本宮富士浅間神社を起点とする吉田口登山道の4つの登山道がある。
富士山の構成資産2. 浅間神社
富士山本宮浅間大社、本殿。1604年に徳川家康が造営したもので、他に幣殿や拝殿、楼門も同時期のもの。他にも源頼朝、足利尊氏、武田勝頼、豊臣秀吉をはじめ、数多くの武将が参詣・寄進したと伝えられている
浅間大社の特徴はこの特殊な二階。浅間造と呼ばれている
- 富士山本宮浅間大社○
- 山宮浅間神社○
- 村山浅間神社○
- 須山浅間神社○
- 富士浅間神社○
- 北口本宮富士浅間神社●
- 河口浅間神社●
- 富士御室浅間神社●
北口本宮富士浅間神社。馬返しがある標高約1500mから上は神域とされており、この神社の少し上から一合目が始まる
北口本宮富士浅間神社はヤマトタケルノミコト(日本武尊)が富士山を拝んだといわれる場所に建てられた神社。江戸時代に大流行した富士講の登拝では、この神社の登山門から富士に入り、「馬返し」で馬から下りて登山を開始した。
平安時代にはじまる修験道の中心地となったのが村山浅間神社だ。もともとは神道と仏教の社寺と施設が集まった宗教コンプレックス・興法寺の建物のひとつだったが、明治時代の神仏分離令や修験禁止令によって廃寺となった。現在残っているのはコノハナノサクヤヒメを祀る村山浅間神社と、大日如来を祀る大日堂で、神=仏と考える神仏習合の名残を残している。