長嶋氏と松井氏の“絆”の原点とは?
長嶋監督の言葉により、松井選手のプライオリティーNo.1は、本塁打でも打点でも打率でもなく、連続試合出場になった。
この模様をご覧になった方は多いと思うので、詳しいことは省略するが、最も心を揺さぶられたシーンと、長嶋氏と松井氏の“絆”の原点を紹介したい。
国民栄誉賞の表彰式で、ON世代の人たちにたまらなかったのは、王貞治氏が長嶋氏に花束を贈り、「おめでとう」と言って抱き合ったシーンではないだろうか。2人の目に光るものがあった。王さんは第1回の国民栄誉賞受賞者。その受賞以来、ずっと引きずっていることがあった。「なぜミスターは受賞しないのか?」。当初、国民栄誉賞は「世界的な偉業を成し得た」ことを称える色が強く、王さんは本塁打の世界記録、第2回目の受賞者である衣笠祥雄氏は連続試合出場の世界記録保持者というものだった。長嶋さんは「世界的な」には当てはまらず、記録よりも記憶に残る選手だったことが、受賞されなかった理由だったかもしれないが、王さんは「自分よりミスターこそこの賞はふさわしい」と常に思っていたのだ。今回の受賞で王さんの長年の胸のつかえがようやく取れた同時に、ともに苦労をして一時代を築いた王さんから祝福されたことから、2人で流した涙だった。
もうひとつ、長嶋氏と松井氏の“絆”の原点は、入団当初に遡る。当時の長嶋監督は松井選手にこう言った。「いいか、松井。この東京ドームに毎試合、応援に来てくれるファンもいる。しかし、一生のうちで今日しか来られないファンもいる。お前はそういうファンのためにも毎試合出場しろ!」。この日から松井選手のプライオリティーNo.1は、本塁打でも打点でも打率でもなく、連続試合出場になった。以後の巨人時代は連続試合出場を続け、ヤンキースに入団してからも当時のジョー・トーリ監督に思いを伝え、連続試合出場を続けてきた。残念ながら、2006年5月11日のレッドソックス戦の守備で左手首を骨折し、連続試合出場は「1768」で途切れたが、松井氏が選手として大成できたのは、長嶋監督の言葉があったからに他ならない。
ちなみに連続試合出場が途切れた松井氏のもとに、日本にいる長嶋氏から「大丈夫か?」との電話があったという。2004年に脳梗塞で倒れ、想像を絶するリハビリを行っている最中でも気遣ってくれた恩師に、松井氏は今でも「感謝の言葉しかない」と言う。
実は、長嶋監督から松井選手へ贈った言葉は、長嶋氏が尊敬するジョー・ディマジオの「ディマジオを見るのが最初で最後の人が必ずいる。その人のためにプレーしているんだ」のアレンジだが、いかにもミスターらしいと言えるのではないだろうか。