葉真中顕『ロスト・ケア』

ある裁判の場面から、物語は始まります。

死刑を宣告された「彼」は、なぜ43人もの人間を殺めたのか。
検察官の大友秀樹、総合介護企業フォレストの営業部長だった佐久間功一郎、X県八賀市で認知症の母を介護していた羽田洋子、フォレストが経営する八賀ケアセンターで働く斯波宗則。発生当時にさかのぼり、関係者が置かれた状況をそれぞれ描いていくことによって、前代未聞の大量殺人事件の全貌が明らかになっていくのです。

まず、第一章の「天国と地獄」では、老人をめぐる「えげつない格差」が提示されます。「天国」は佐久間の紹介で大友の父が入った富裕層向けの老人ホーム。インターネット回線から天然温泉までさまざまな設備が整っていて、24時間の完全介護も付いている。一方で、八賀市で暮らす洋子は、自分をとりまく世界を「まるで地獄だ」と思っています。幼い息子をひとりで育てながら、母の世話をしなければならない。優しかった母は娘を「ケダモノ」と呼び、頻繁に暴れる。
人が死なないなんて、こんなに絶望的なことはない!
(引用者註:原文には傍点があります)
経済的にも精神的にも肉体的にもギリギリまで追いつめられた洋子の心の叫びが痛ましい。至れり尽くせりの老人ホームに入居するには一財産必要で、特別養護老人ホームはどこも満室。介護保険はあるけれど、十分なケアは受けられない。結局、お金がなければ、家族が負担に押しつぶされる。それがこの国の現実。洋子が直面する問題は、他人事ではありません。

いつまでこんな生活を続けなければいけないのかと洋子が絶望しているとき、母が死にます。家に忍び込んだ「彼」の手によって。