東日本大震災の発生から2年が経過しました。その後の復興にハウスメーカーをはじめとした住宅事業者が大いに活躍したことは記憶に新しいこと。2年が経過する中で、少しずつその時の様子がわかってきました。そこでここでは被災地の復興・復旧や施主のサポートなど、ハウスメーカーがどのようなことを行い、そしてできなかったことは何なのか、確認してみたいと思います。

早い段階からスタートしたハウスメーカーの支援活動

まず、ハウスメーカーといってもその内容と規模は様々。ここではよく知られている大手ハウスメーカーの活動を主に取り上げます。その強みは組織力と総合力。震災発生直後から、その強みが救援物資の輸送や、施主の安否確認に発揮されました。

支援物資の輸送

震災発生直後から支援物資の輸送がスタート。全国規模のネットワークを駆使し物資調達が行われたという(写真は積水ハウス提供。クリックすると拡大します)

救援物資を運ぶといっても東日本大震災は未曾有の被害が出ましたし、かつ被災エリアも広範囲に及んだのが特徴でした。また、福島県の沿岸部のように、放射能で一般人が立ち入ることのできない地域が生まれたことも特徴の一つです。

大手ハウスメーカーの多くはそうした中でも、震災発生の比較的早い段階、例えば3月12日や13日には施主の安否確認やサポートのために、限定的ではありますが被災地入りをしていたといいます。施主の中には避難所暮らしをされていた方も当然いましたから、各地に点在する避難所をしらみつぶしにまわるという、かなり過酷な作業だったそうです。

避難所などで施主と出会うと水や食糧を手渡すことになるわけですが、当然そこには施主以外の一般の方々もいらっしゃるわけです。見捨てることはできないということで、次第に各避難所ごとに救援物資を輸送するなどの活動も進んでいったといいます。

被災地での救援活動については様々な企業が実施していましたが、中でも早く行動していた企業が一部の大手ハウスメーカーだったそうです。中には、電話が使えない避難所で出会った方々から連絡先を聞き、その方々の親戚などに連絡し、無事であることを知らせていたなどというエピソードも、私のこれまでの取材で聞き及んでいます。

組織力&総合力で施主の住宅再建に貢献

このような活動は初期段階ですが、次に生活の場所をどうするのかといった問題が次に浮上していきます。その際にも大手ハウスメーカーの組織力、総合力が効果を発揮しました。つまり、早い段階から地震や津波に遭った住宅の再建などについて、施主は何らかのアドバイスを受けられたということです。

ブルーシートがかかったままの住宅

震災から1年後でも依然、ブルーシートで覆われた住宅が散見された。補修のための職人が不足していたのも原因の一つだ(写真は宮城県内で撮影。クリックすると拡大します)

この点、地域の工務店などでは対応が難しかったようです。というのも地域の工務店自体が「被災者」であり、施主の相談に乗ったりするどころではなかったためです。つまり、災害時に事業を継続することができなかった事例が多く見られたわけです。

まず地震や津波の被害を受けた住宅が補修することで住み続けられるのか、居住の継続が不可能な場合、例えば二重ローンの問題をどうするのか、政府や自治体の住宅再建策はどうなっているのか、など被災地の混乱した状況の中では、情報を整理して冷静に判断とアドバイスをしてくれる人が必要となります。

大手ハウスメーカーの場合、全国にネットワークがあり人材も豊富ですから、被災地以外のハウスメーカー関係者が被災された方々をサポートすることで、早期に住宅再建にこぎ着けられたという事例もあります。

仮に地域の工務店が無事で施主のサポートが可能であった場合でも、施主の住宅再建が難しかったということも指摘できます。というのは震災直後は住宅資材の調達が難しく、さらに大工さんや職人さんなどの人材確保も難しかったからです。

応急仮設住宅の建設を早急に行う必要があった中で、一般の住宅再建は非常に困難であり、仮に早期に着工することができても、引き渡し時期をしっかりと守るという作業は困難を極めました。そうした状況下で、大手ハウスメーカーの強みが大いに発揮されたというわけです。

早期に住宅を再建し、元の生活に近い環境を取り戻せることは、大きな価値だったのです。しかし、東日本大震災ではそんな大手ハウスメーカーの組織力、総合力を持ってしてもできなかったことがありました。その点を中心に次のページで紹介し、その意味を考えていきます。