ドラゴン・スープレックスをはじめとするあらゆる技を器用に使いこなすレスラーです。小柄でありながら、いくつものタイトルを獲得しました。新日本プロレスの旗揚げから主要メンバーとして加わり、エースとしてファンを魅了したレスラーとして語られています。

藤波辰巳(藤波辰爾)のココがスゴイ!

■夢をあきらめず、泥臭くも実現への道を獲得したこと
1953年大分県出身。アントニオ猪木に憧れプロレスラーをめざすも、中学卒業後に就職、一度は断念しました。しかし、夢をあきらめきれず、日本プロレスに入門しました。あこがれの猪木の付き人となり、17歳でデビューとなりました。

■新日本プロレスの旗揚げより参加、ドラゴンブームを起こしたこと
1972年、アントニオ猪木が新日本プロレスを旗揚げしたときから参加。1978年1月、ニューヨークでの試合で対戦相手をドラゴン・スープレックスで破り、ジュニアヘビー級タイトルを獲得。3月の凱旋帰国戦で対戦相手を、またもやドラゴン・スープレックスで破り、世間に「ドラゴンブーム」を巻き起こします。

■新日本の低迷期を支えたこと
1983年8月、タイガーマスクが引退、有名選手が相次いで新日本から離脱する中、「次は藤波……」と噂されながらも残留を決め、猪木らとともに新日本の低迷期を支えました。

■憧れの猪木を挑戦者として迎えた名勝負
1988年5月8日に藤波が獲得したIWGPヘビー級王座に、ちょうど3ヵ月後の8月8日、アントニオ猪木が挑戦者として挑むことになります。60分フルタイムの末引き分けた試合は、現在でも頻繁にテレビ放映されるほどの名勝負としてプロレス史に残るほど。試合後、猪木が藤波にIWGPのベルトを巻いてやり、共に男泣きをするシーンは日本中に感動を与えました。

■新日本プロレスのエースとなってから世代交代まで
新日本プロレスのエースとなり、次世代のヒーロー「闘魂三銃士」のデビューまでその座を守り続けました。そして1988年7月29日のメインイベントで「闘魂三銃士」との直接対決を果たします。会場となった有明コロシアムは、当時まだ屋根がなく、雨の中死闘を繰り広げ、新日本の次世代到来を華々しく飾ることができました。



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