宝塚ファン/宝塚歌劇入門編

東京宝塚劇場の変遷(2ページ目)

わずか16名の少女たちから始まった劇団が、もうすぐ100周年を迎えた奇跡……。様々な困難に遭いながらも新しいものを求め、今に繋いだ軌跡……。そこにいつもあったたくさんの輝石……。宝塚歌劇団100年へのキセキのひとコマをご紹介いたします。Part6「東京宝塚劇場の変遷」

桜木 星子

執筆者:桜木 星子

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そんな東京宝塚劇場が、第二次世界大戦の惨禍にあいます。宝塚大劇場と同様、歌舞音曲の禁止により休場を余儀なくされ、風船爆弾工場として使用されたのです。
そして戦後はGHQに接収され、アーニー・パイル劇場と改称。それは占領軍の娯楽施設としての劇場で、日本人が観客として入ることはない劇場でした。

その間宝塚歌劇は、日本劇場、江東劇場、帝国劇場などで公演しました。GHQから返還されたのは、それから10年経った1955年(昭和30年)。再開初の作品は、先日逝去された春日野八千代さん主演『虞美人』でした。

その後、日本の商業演劇の中枢として活躍した東京宝塚劇場ですが、老朽化による建て替えのため、1998年に64年間の幕を閉じます。宝塚歌劇としての最後の作品は、1997年12月、真矢みきさん主演、花組公演『ザッツ・レビュー』。
そして東京宝塚劇場としての最後の公演は、1998年1月、ジャニーズのタレントさんによる『ジャニーズ祭り』でした。

TAKARAZUKA1000days劇場

■1998年(平成10年)5月30日~

東京宝塚劇場リニューアルの建て替えの間に作られた劇場です。名前の由来は約1000日間使用する予定だったから。場所は、現在の有楽町インフォスの辺りです。あくまでも仮設の劇場のため、セリはなく、オケ・ボックス(オーケストラピット)もないため音楽は生演奏ではなく録音でした。

こけら落し公演は、真琴つばささん主演、月組公演『WEST SIDE STORY』でした。

新東京宝塚劇場で通年公演を行うために、1998年には、5番目の組「宙組」を新設。新しく組を作るのは、なんと1933年以来のことでした。

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