傷口は神様のキスマーク!
ガイド:「ガイガーカウンターの夜」は、今回のアルバム『ガイガーカウンターカルチャー』のタイトルにも繋がる曲。これは、ジャケのイメージにも繋がる歌詞から始まりますね。神様はいじわるなのでしょうか?
松永:
神様は常に僕らを貶め、陥れる。僕らがかの人を愛しても遠ざけられ、気づけば気づくほど傷つけられる。ならばその痛みを一手に引き受けてやろうじゃないかという、我々の決意表明ですね。また一方で、神様の気まぐれで様々な不幸をもたらされ、翻弄される我々の怒りの歌でもある。あらゆる傷口は神様のキスマークです。気まぐれにキスされてルージュが滲んでいるだけです。我々はあなたからの、その膨大すぎる愛を抱きしめ、生きていきたい。命の基準値を自らに定めて。
生きろ!死ぬな!命令形
ガイド:所謂、応援歌というジャンルがあります。正直、気恥ずかしい困ったジャンルですが、「ノンフィクションソング」はあえてそこに挑戦し、アーバン流に作った応援歌と考えてもいいのでしょうか?
松永:
なるほど。そうかもしれません。
今まで、応援するのはおこがましいと思ってたんですよ。人が人に対して何かを命令するのは傲慢で、「頑張れ」という言葉も命令形だったりする。心の病を持った人に「頑張れ」とか、「生きろ」とか言うのはタブーとも言われますが、そんな俯瞰した第三者的な視点を持たなくていいやって、今回は割り切れたんですよね。だから対人間として、同じ目線から初めて命令形で歌ったんです。「生きろ」「死ぬな」ってね。僕の個人的な想いです。
浜崎:
そうですね。メッセージを伝えたい、なんて自分のことを驕っている人間の言う台詞で、とても上から目線の傲慢な台詞だと思っていたのですが、ここ数年のうちにボーカリスト・表現者としての意識がまた変わってきたんです。今でも楽曲は、自分たちの手を離れたら(作品が発表されたら)解釈はそれぞれにお任せします、というスタンスは変わらないのですが、そこに自分の意見すら以前は入れることはありませんでした。でも今は、個々の楽曲に対する自分なりの解釈、自分なりの思い入れを持っても良いのでは、と思うようになりました。あなたなりにこの曲を受け止めてください。
そうそう、アルバム制作に入る前にどのようなアルバムにしたいかを話し合ったときに、私は「松永天馬自身の言葉」が歌いたいから、今までの曲に多かった第三者的なお話ではなく、あなたの言葉で歌詞を書いてくれ、と強く意見しました。『ノンフィクションソング』は、それを受けての天馬なりの回答と受け止めて、私も自分の思いを込めて歌いました。大切な曲です。心して聴いてください。