夏目漱石の異色作にして意欲作「草枕」
■作品のあらすじ:日露戦争の頃、主人公である一人の洋画家の青年が山中の温泉宿に宿泊する。そこで出会った宿の主人の娘「那美」はとても不思議な女だった。那美に自分の絵を描いて欲しいと頼まれた主人公だったが、何かが足りないと感じ、描かないでいた。
ある日、彼は那美と一緒に、満州の戦線へと徴集された彼女の従兄弟を見送りに駅に行く。そこで那美はかつて別れた夫とホームで出会う。彼は那美に満州行きのお金を貰いにきたのだ。
発車する汽車の窓ごしに彼を見つめる那美。その時、主人公は彼女の表情に「憐れ」を見て取った。そして彼女に「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」と彼女の肩を叩きながら小声に云うのだった。
■おすすめの理由やエピソード:
作家や映画監督など表現を生業にする人々にとって、処女作や最初の数作においてその作家の表現者としての本質や作家性が色濃く表れる場合が多々あります。
夏目漱石という作家をよく理解しようと思うとき、第2作目にあたる本作は他の作品群とは作風が表面上大きく異なりまた実験的で解釈が難しい点もあるのですが、他作品に通底し共通する漱石文学のエッセンスである「非人情」「無情の美」が雅趣に富む語り口で興味深く表れ、理解に欠かせない作品と言えます。
これらは漱石の思想の深淵部であって、ここを踏まえた上で大衆小説・エンタテイメント風の「坊っちゃん」や「我輩は猫である」を、または『無意識の偽善』をテーマに据えた「それから」や「こころ」を読み直すと深く漱石の考え方を理解しやすくなり作品をより味わえるようになると思います。
そのような意味で、最初に手に取りやすい作品という観点ではなく、漱石をきちんと深く味わいたい方が押えておくべきおすすめの作品という観点で回答してみました。
思想的な背景には近代日本の西欧化に伴う伝統文化の価値観のゆらぎ、それをいち早く理解したが故に苦悩する知識人としての漱石があります。
この作品には変動の時代依るべき心の原郷を探し求める漱石の心の有様が込められ、それが読者に受け入れられることで長く読み継がれているのではないでしょうか?