2008年9月、リーマンショックの乗り切り方
2008年9月、リーマンブラザーズが破綻したというニュースが出たとき、私恐慌相場であっても儲ける方法はあります
リーマン破綻のニュースが流れた日、私が取引しているコモディティ会社の担当ディーラーから、携帯に電話がかかってきました。
「崩れ始めました。アメリカではパニックです。これは大相場になりますよ」
自分でもロイターのサイトを見てみたら、悲観的なニュースばかり。これは連鎖しそうだ。すかさず、プラチナの「買い」ポジションを反転させ、すぐに「売り」を入れました。
そこからはご存知の通り、恐怖の到来です。株も為替も商品も大暴落。日本だけでも120兆円の金融資産が失われた、というニュースが流れました。老後の資金として投資信託に預けた人も、火だるまです。
当時の私は、FXも株も休んでいて、このときはまったくポジションを持っていなかったおかげで、無傷ですみました。唯一持ったポジションが先ほどのプラチナ「売り」です。こちらは3ヵ月後、プラチナの1gの価格は、リーマンショック前の5,000円から、2,100円をつけました。1枚(1取引単位)あたり、200万円の利益です。1枚の取引に必要な証拠金は、当時は約10万円前後。当時、300万円の資金を3ヶ月で1億円にした個人投資家も何人かいたそうです。
その年末は派遣村などの騒ぎがありましたが、私は保有するポジションをすべて利益確定し、スクウェア(解消)にしていたので、穏やかな年末年始を迎えました。
2009年 リーマン・ショック回復局面
各国政府・中央銀行の財政出動・金融緩和によって、翌年2009年の市場は、初頭から落ち着きを取り戻しつつありました。どこまで下がるかわからないと言われた相場も、下げ止まりを見せています。あれほど激しかった恐慌関連ニュースも減ってきたため、相場も少しずつ回復に向かうのではないかと予想しました。そこで、コモディティではプラチナと金の「買い」を入れました。また、しばらく休んでいたFXも再開しました。狙ったのはオーストラリアドル(豪ドル)とニュージーランドドル(NZドル)。リーマンショック以前と比べると、いずれも半分程度まで下がっており、さすがにこれは安いだろうと感じたからです。両国とも政治経済の安定性を自分の目で見ていた点と、他の通貨に比較してスワップポイント(金利)が高かったので、しばらく塩漬けになっても大丈夫だろうと考え、「買い」を入れました。当時、豪ドルが1ドル61円、NZドルが1ドル47円のときでした。結果、両方とも1ドルあたり20円以上上昇し、大きく利益を出すことができました。1枚(1万通貨単位あたり20万円、10枚で200万円、100枚で2,000万円の利益)
2009年11月、ドバイショックの乗り切り方
2009年11月、開発ブームに沸いていたドバイで、金融不安のニュースが流れました。UAE(アラブ首長国連邦)のドバイ政府が、政府系企業のドバイ・ワールドの債務返済繰り延べを発表したことにより、金融市場が急落した、いわゆる「ドバイショック」です。欧州の多くの金融機関が債権を持っていたため、第2のリーマンショックという噂も流れました。しかし、リーマンショックとは異なり、債権が証券化されて世界中の金融機関にばら撒かれるという性質のものではなかったので、この暴落は限定的かつ一時的なものだろうと考えました。つまり、いったんは下落するけれども、その谷は深くはなく、そう時間もかからず回復するというシナリオです。米ドルは1ドル90円から87円台へ急落したタイミング、ここで「買い」を入れます。しかし翌日もまだ下落が続きました。そこで今回は、ナンピン戦略をとることにしました。さらに下げたところで再び「買い」を追加してポジションを増やします。FXでは50銭刻みに、コモディティでは100円刻みで買い増していきました。
これは、平均の約定単価を下げる効果があり、回復したときには大きな利益が期待できる、という方法です。
もちろん、何も考えずただナンピンしてしまうと、含み損が大きくなるだけです。
さらに強制ロスカットに遭ってしまうとゲームオーバーですから、そうならないよう、ポジション管理・資金管理はきっちりやっておきます。結局、1ドル84円台まで下がったため、一時的には保有ポジションの量も、含み損の金額も膨らみました。しかし1ヵ月後には90円台を回復し、翌年にはすぐ100円台まで戻り、ここでも利益を得ることができました。コモディティも、いったんは下落しましたが、新興国市場での需要に支えられ、間もなく回復し、こちらも利益を出せました。