宝塚ファン/宝塚歌劇入門編

宝塚大劇場の変遷(2ページ目)

わずか16名の少女たちから始まった劇団が、もうすぐ100周年を迎えた奇跡……。様々な困難に遭いながらも新しいものを求め、今に繋いだ軌跡……。そこにいつもあったたくさんの輝石……。宝塚歌劇団100年へのキセキのひとコマをご紹介いたします。Part5「宝塚大劇場の変遷」

桜木 星子

執筆者:桜木 星子

宝塚ファンガイド


宝塚大劇場

1924年(大正13年)7月19日~
こけら落し 花・月合同公演『カチカチ山』『女女郎蜘蛛』『アミノオの功績』『身替音頭』『小さき夢』

宝塚少女歌劇初公演からちょうど10年目の大正13年7月、宝塚大劇場が落成しました。東洋一、いや世界一とも言われた大劇場は五階建て。回り舞台や花道も完備し、幕を吊り下げる吊り物用のバトンは60本もありました。
座席はすべて椅子席で、キャパ4000名。
7月1日に雪組が新設されました。

あまりにも大き過ぎる劇場。しかし『モン・パリ』『パリゼット』など大劇場にふさわしい作品、大劇場ならではの作品が次々と上演され、昭和8年に誕生した星組と共に、レビュー黄金時代が始まります。

1935年(昭和10年)1月25日、二度目の火災。宝塚大劇場から出火し、ほぼすべてが焼かれてしまいます。復旧工事の間は、宝塚中劇場で公演を続けました。


宝塚大劇場

1935年(昭和10年)4月1日~
こけら落し 『寶三番叟』『おゝハリエット』『うわなり鏡』『心の灯』『春のをどり<流線美>』 

火災よりわずか50日で再建。舞台や客席数など様々な点が改良されました。
客席は三階まで。キャパ4000名。その後何度も変更され、最終的には2883名になりました。

舞台機構や客席の改良を何度も行いつつ、この宝塚大劇場は1992年(平成4年)12月まで使用されました。
戦中戦後には、決戦非常措置により閉鎖、また連合国軍に接収されるという事態に陥りましたが、やがて復活。宝塚歌劇の歴史の多くが、この大劇場で作られました。
68年間の観客動員数は7000万人。上演された作品は約1900本でした。

この旧・大劇場をご存知のファンの方も大勢いらっしゃることでしょう。
余談ですが……私が立っていたのもこの旧・大劇場でした。すべてに年輪を感じさせました。しかし華やかな衣装やセット、派手(?)なタカラジェンヌやドーランの匂いは、いつの時代も変わることなく、今思い出しても、あまり古さを感じなかったのが不思議です。


宝塚大劇場(現在)

宝塚大劇場

宝塚大劇場

1993年(平成5年)1月1日~
こけら落し 『宝寿頌』『PARFUM DE PARIS』

コンピューター制御された最新の舞台設備を兼ね備えた新・大劇場がスタートしました。今もこの宝塚大劇場が宝塚歌劇の本拠地です。
キャパ数は一階、二階の2527名。後に2550名。
一階後ろにあった大きな柱(これは邪魔でしたね)はなくなり、全体がちどり配列の座席になったりと、どの席からでも見やすくなりました。

以前は、稽古場のある劇団と劇場が少し離れた距離にありましたが、この大劇場より同じ建物となり、生徒やスタッフにとっても便利になりました。ただファンの方にとっては、稽古着姿で劇団と楽屋を行き来する生徒が見られなくなったことは淋しいようですが……。

1995年1月17日、阪神淡路大震災に被災。舞台機構が壊れ、やむなく休演となりましたが、復旧工事が進み、3月31日より再開しました。
その後、銀橋のカーブを変えるなど、二階席からでももっと見やすいようにどんどんと改良され、現在に至ります。

室内プールから始まった宝塚歌劇の劇場は、幾多の困難を切り抜け、多くの観客に感動や夢を与え、創立100周年を迎えます。



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