東海道四十六番目の宿場町歩きも楽しめる、三重県「亀山城」
シャープの亀山モデルで有名な三重県亀山市にある城。京都府亀岡市にも同じ名前の亀山城があり、江戸時代初頭に天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴が、本当は丹波(京都府)の亀山城であったのを間違って伊勢(三重)の天守を取り壊してしまった史実は有名です。今ある亀山城は安土桃山時代に作られましたが、それ以前から城があり平氏の末裔である関氏の城でした。織田信長の伊勢侵攻により、よく戦場となった城です。亀山城が滝川一益の支配下になっていた時に本能寺の変が起きたため亀山城は秀吉の大軍に攻められて落城しています。NHK大河ドラマ「功名が辻」では秀吉軍の先鋒だった山内一豊が亀山城への一番乗りを果たすシーンが出てきますが、31歳の重臣・五藤吉兵衛為浄(武田鉄矢が演じていました)がこの時に戦死しています。この戦いで破壊された亀山城を少し場所をずらして再建したのが現在の亀山城です。多門櫓しか残っていませんでしたが、整備がすすみ帯曲輪などが復元されています。
城のすぐ横を東海道が通っており、江戸時代は東海道四十六番目の宿場町として栄えました。各家の軒先にはかっての町の名前と当時の屋号の木札が約3kmにわたり、延べ400枚掲げられています。「さかんや(左官屋)」、「なべや(鍋屋)」、「かみゆいや(髪結い屋)」、「しおや(塩屋)」など街歩きしながら楽しめるようになっています。