耐震基準は「その日暮らし」?
一級建築士であり多くのエリアでさまざまな建物の設計をてがけた隈氏。冒頭の章では、日本の建築界の災害に対する考え方のひとつとして、耐震について疑問を呈します。建物が経年劣化したとき、「耐震性能があるかということについては、基本的には誰も考えてい」ないことや、「もっと細い柱でも建物が成り立つ土地がある」といったことを指摘。「実はその日暮らしの、場当たり的なもの」に感じているとのこと。先の阪神淡路大震災の際も、地盤のしっかりした山麓の建物、埋め立て地上の建物、活断層上の建物、それぞれで被害は大きく異なりました。立派な建物が座屈したり、オンボロ家屋がびくともしてなかったりしたことを思い起こすと隈氏の主張もうなづけます。「無意味な一律基準をやめて、それぞれの土地で細かく計算」する事が大切なのでしょう。
耐震/制震/免震などの技術が大切であることには違いありませんが、過信もいけないし、過分なコストをかけるのもよろしくない。その土地の過去の歴史をひもとき、自分で判断するくらいの気概が必要ですね。
常識は時代で変わる!
「当たり前だろ」と感じるでしょうが、歴史と重ねて語られると腑に落ちます。日本でも、昨年の東北大震災の前後でいろいろなことの価値観が変わりました。防災、エネルギー、個々人の生き方等々。今から300年近く前、1755年のリスボン大地震ではヨーロッパ世界において大きく価値観が変わったと記されてます。リスボン大地震は5~6万人の死者を出した大惨事。世界人口が7億人の時代の5~6万人のインパクトは、70億人の世界で2万人の死者・行方不明者を出した東北大震災の現代社会への影響を考えると、いかに大きなものであったかがわかります。
この大惨事はヨーロッパ全体を恐怖に陥れたわけですが、「『神は人間を見捨てたのではないか』というのが、人々の恐怖の核心」であったということで、「その恐怖から、近代という時代が始まった」と定義する人もいるほどの出来事だった様です。1789年のフランス革命へと続く「自由平等博愛の革命思想」もこの後との事。
一方20世紀は、地盤の動きが安定していた世紀で自然災害は比較的少なく規模も小さかったので「人間が放漫になった」と隈氏は主張します。20世紀の大惨事は、二つの大戦。どちらも自然災害ではなく、人間が引き起こした災害です。
そして21世紀に入った今、われわれはとてつもなく大きな自然災害を体験しました。私たちの常識、とりわけ住宅を手当てするときの常識は東北大震災を機に大きくかわりつつあります。そのような端境期にいることを、この本を読んであらためて認識できました。
住まいの理想は「参勤交代」!?
養老氏の論で面白いのは「住まい方は参勤交代に学ぶ」という考え方です。「田舎で自給自足し、地産地消型で生きていく世界と、都市でできるだけ物流を効率化して生きていく世界」に二極分化していくのではないか?としたうえで、その両方をいったりきたりする「参勤交代」を提案しています。過疎や高齢化を問題視するなら、みんなが田舎に別荘を持ち、田舎と都会を行ったり来たりして暮らせばよいと。
2拠点居住をすればよいという考えは、それほど珍しいものではありません。しかし、それを「参勤交代」とよび、昔から金持ちや偉い人は別荘を持ってやっていたんだからその習慣を一般化すればよい、なんて言い回しはなかなかユニークです。
ともに東大卒で中学高校の先輩後輩である両氏。専門分野は違いますが、本質的なところではすごく考え方が近いのがよくわかります。現在の分譲マンション事情やニュータウンに違和感を覚える方には大変共感できる一冊です。