ママ同士の「違う」は「脅威」になり得る
そう、ママ同士の「違う」は、時々ほかのママに対する「脅威」になり得る。なり得てしまう……ということは、まず頭の片隅に置いておいてよい考えでしょう。でも、誰しも、誰を脅かそうとして「違っ」ているわけではないのです。そもそも、皆、絶対に違う。百人百様。当然です。でもその「違う」ことが、許容できない(されない)メンタリティに支配されている状態なのならば。不要な炎上を避ける意味で、そも摩擦の熱を避ける意味で、てっとり早く「違う」相手と「距離を置く」以外にはないのも、また、現実なのです。
許容されなかった方は一方的に「ママお茶」などでの居場所を失ってしまうかもしれません。意味も分からず、面白くないかもしれません。でも「だから何?」と言えるしたたかさが、ママには欲しいのです。
だいたい「ママ友」なんていてもいなくても、実際のところ生命に別条はありません。生活にも響きません。子どもの成績にも響きません。屁のツッパリにもなりません。ええ、ぜんぜん!
たとえママ友がいなくたって
私たちは、残念ながら、もう多感な少女ではないママ。妊娠線も、脱毛も、四十肩も乗り越えてきた、強いママです。それでも、ママ友が一人もいないことに辛さ不安さを感じてしまうのであれば、なんならインターネットの先にいる私やカワサキさんに、メールでもツイートでもして話しかけてください。私たちは、奇人(?)人生を歩んでいるので、ちょっと「違う」あなたにでも、余裕で共感できるはず。笑
「ママ友」が心底必要に感じるような時期っていうのは、例えば子どもが幼児でいるあいだなど、後から思うとほんの「一時」に過ぎないのです。ホントは、子どもなど介さずに得た友人知人のほうが、気も合うし残る。
たとえ子ども同士は仲が良くても、ママ同士まで仲良しにならなくて、いいんです。このごくあたりまえなことが腑に落ちてなお、仲良くしたい人に身近で出会えたなら、それはそれで素晴らしい。そしてそういうことも意外とあるのが、子を持って生きる暮らしの醍醐味なのです。