F1に辿り着いた中嶋、国内に残った星野
1987年、鈴鹿サーキットは初めてとなる「F1日本グランプリ」を開催する。この年からフジテレビでF1全戦中継が始まり(それ以前は他局によるダイジェスト放送)、全日本F2からは中嶋悟が日本人初のF1フル参戦を果たし、日本に空前のF1ブームがやってくる。1987年F1日本グランプリ
【写真提供:MOBILITYLAND】
中嶋悟はF2でホンダエンジンを使い続けたエースドライバー。一方の星野一義は1984年までBMWエンジンで戦ったドライバー。1985年から星野もホンダエンジンでF2を戦い、ホンダのF1テストも担当していたが、1987年にF1への切符を手にしたのは中嶋悟だった。
星野一義は1987年から始まった国内トップフォーミュラの「全日本F3000」レースに参戦し、「日本一速い男」の異名でF3000の絶対王者として君臨し、50歳になる1997年まで国内トップフォーミュラを戦った。
1990年、全日本F3000のスタート。バブル景気とF1ブームで国内トップフォーミュラも大盛況。先頭を走り、同じCABINカラーの片山右京を抑えているのが星野一義だ。【写真提供:MOBILITYLAND】
50周年ファン感謝デーで星野と中嶋がバトル!
そして今年2012年、歴史を作り上げてきた「全日本F2選手権」のスター、星野一義と中嶋悟の2人のF1マシンによる対決が行われる。それが「鈴鹿サーキット50周年記念ファン感謝デー」だ。2012年3月3日(土)、4日(日)の2日間開催されるこのイベントでは、懐かしい80年代90年代のF1マシンなどヒストリックマシンも多く走行する。1987年よりF1へと進出した中嶋悟。1986年にホンダのF1テストを担当していたものの、国内レースに留まりF1フル参戦の夢は叶わなかった星野一義。永遠のライバルである2人、F1に関して言えば人生が180度異なった2人が26年の時間を巻き戻し、当時のF1マシン、ウィリアムズFW11(86年星野一義)、ロータス100T(87年中嶋悟)に乗って対決する。
星野一義が乗る予定のウィリアムズ・ホンダFW11。
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この2人の対決は多くの人にとっては「今や昔」の話かもしれない。しかし、この50周年という節目は「鈴鹿サーキット」にとっても、日本のモータースポーツ界にとっても、これから始まる新しい50年に向けた重要なターニングポイントになる。
ガイド自身も1986年当時の状況をリアルタイムでは知らないので、こういった企画は日本のモータースポーツが紡いできた歴史の大事な1ページを、改めて学ぶ良いキッカケになるのではないかと感じている。単に昔に戻って楽しもうというものではない。現在もフォーミュラニッポン、SUPER GTで「監督」として対決する2人が当時のF1に乗って一体どんな対決をするのか、当時を知らないファンも一緒にタイムマシンに乗って感じてみないか。世界を目指し、扉をこじ開けようと懸命にレースを戦った2人はこの対決を通じ、何かを教えてくれるはずだ。
次回は後編。「鈴鹿サーキット」で開催された、歴史のターニングポイントとなったレースを紹介する予定です。お楽しみに。
【リンク】
「鈴鹿サーキット50周年記念ファン感謝デー」
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