ときめきに死す
ガイド:先ずは9月28日に発売となったシングル『ときめきに死す』についてお話を伺います。PVも既に公開されているタイトル曲は一見、見つめ合う二人の世界なのですが、その中身は“超能力”に溢れるジュブナイル的世界を追求していますね。以前も確かジュブナイルについて話し合った記憶がありますが、やはりこの世界観をポップミュージックに持ち込むのはアーバンならではだなぁと。
浜崎:
ありがとうございます。実は『ときめきに死す』はアーバン至上最も楽曲制作・歌詞共に時間がかかった曲になりました。まだこの曲を作っている時期はアルバムの制作も断片的なもので、デビュー曲の『スカート革命』も発売していない時期だったのでどういう感覚で作っていいか皆手探りで始めた記憶があります。結果的に非常にジュブナイル的なノスタルジーな楽曲になりましたが最初のデモの段階ではこうなるとは予想していなかった曲で、良い意味で制作していて裏切られた曲です。
松永:
少女とは肉体であり精神であると同時に状況です。思春期の訪れとともに世界との違和感を感じたり、他者との距離を感じるとき、世界と彼女のあいだを劈く亀裂があらゆる超常現象を生み、彼女に超能力をもたらすのではないかと。爽やかな生の光に一筋垂れた血の色は死の臭いを漂わせ、コマーシャルや街のポスターに溢れるセイシュンを生々しくさせるでしょう。檸檬をダイナマイトに。ポップミュージックに血を。我々の命題であります。
その少女、人形につき
ガイド:「その少女、人形につき」(アルバム未収録)は、奇妙な終わり方も含めて好きなタイプの実験的B面曲。いや、今の時代にB面曲なんてないのですが、「Dolly Dolly・・・」って脳内でお経のようにインプットされてしまいます。
浜崎:
やはりドラムの鍵山喬一君がメンバーに加入したこともあってやりたかったロックとかバンド感というものが今まで以上に色濃く出ている曲だと思います。A面の『ときめきに死す』とセットで聴いていただくとアーバンのポップな一面とアイロニカルな一面が伝わるんじゃないかなと思ってます。私もこの曲大好きです。
松永:
90年代後半の錆びついたグランジ感をアイドルのフォーマットに閉じ込めました。あの頃僕は渋谷や新宿をうろつき、エヴァに救われ、同世代の援助交際に少しだけ傷ついたりしていた。今や「春を売る」という行為はずっと薄くひきのばされ、軽くなり、握手やトークといった広義の意味をまとい、キャバクラやメイドカフェ、そしてアイドル予備軍にまで敷衍しました。そしてその分「空想X」で描かれた少女たちの病理も大衆的になり、ポップなものになったのではないかと。我々世代の女子高生は「せつない」という言葉を連発しましたが、今は「病むー」とか言うそうです。まさしく、かわいいは病気。