明治維新を生み出した城下町、萩へ
今回の行き先は【山口】
明治維新を生み出した城下町、萩へ
その長州藩の中心地が長らく置かれていた萩(はぎ)は、明治維新の原動力となった偉人を多く輩出した町です。また現在に至るまで城下町としての雰囲気を味わえる街でもあります。
今回は、萩の城下町を歩いてまわり、明治維新に関わる偉人に縁のある場所と共に、萩ならではの美しい風景をご紹介しましょう。ちなみに世界遺産の候補地もあるんですよ。
美しいお濠と石垣が残る萩城址
萩(Yahoo! 地図情報)は、山口県北部の日本海に面した街。戦国時代から江戸時代にかけて山陽・山陰地方に絶大な勢力を誇った毛利氏の下で城下町として発展した街です。関ヶ原の戦いで豊臣方についたことで、徳川幕府より周防(すおう)、長門(ながと、どちらも山口県の旧国名)に減封された毛利氏が城を築いたのが萩でした。
日本海に突き出すようにそびえる標高143メートルの指月山(しづきやま)に造られた萩城は、指月城と呼ばれ、高さ14.5メートルの五層の天守閣があったとのこと。
萩のシンボルの一つとして長らく親しまれたのですが、明治の廃城令と共に天守閣や櫓といった建物はすべて破棄されました。跡地は指月公園として整備され、石垣と美しいお濠のみがここに城があったことを訪れた人々に伝え続けています。
また春は桜の名所として、多くの人が花見を楽しみに集まります。
また指月公園と共通の入場券で見学できるのが、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋。国の重要文化財に指定されています。
山口県の瀬戸内海側にある厚狭(あさ、現在の山陽小野田市)に拠点を置いた毛利家の分家が萩に構えた館で、萩に残る武家屋敷の中で一番横に長い屋敷とのことです。萩城址と共に見てまわると良いですね。
続いては、城下町萩の町並みを歩いてみましょう。次ページに続きます。