お笑い・バラエティ/お笑い・バラエティ番組最新情報

日本の笑いを変えたプロデューサー・横澤彪氏(2ページ目)

突然の訃報が日本に激震を与えました。横澤彪氏、まだまだ日本のバラエティのために活躍してほしかった方です。これまでにも多くの追悼記事、ブログを目にしましたが、自分なりの言葉で追悼させていただきたいと思います。

広川 峯啓

執筆者:広川 峯啓

お笑い・バラエティ番組ガイド


若者に新鮮なイメージを与えたMANZAI

1980年4月に特番として放送された「THE MANZAI」は、それまで漫才に見向きもしなかった若者たちの注目を集め、本格的なブームが始まりました。2人の掛け合いというよりも、一方がまくし立てるというスタイルが新鮮に感じられたそうです。

もともと、欧米のショービジネスの中では、普通に行われていた手法(ディーン・マーティン&ジェリー・ルイスのような)でしたが、当時の日本では斬新だったのは事実です。そういった新しさが、カッコ良さにも通じた時代だったんですね。

残念なことにこのブームは、それほど長くは続きませんでした。しかしブーム終了後も、横澤プロデューサーが立ち上げた『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!!』は、長寿番組として人気を保ち続けました。

「冷酷」と言われた陰には……

両番組に共通しているのは、メインは不動ながらも他のレギュラー出演者をこまめに入れ替えたこと。そのために、いろいろと陰口を叩かれたこともあったそうです。番組を良くするためにあらゆる努力をするのは当然であり、情に流される(通常、芸人自身よりも所属事務所との繋がりが重視される)ことが正しいとされることには、疑問を持ってしまいます。

95年にフジテレビを退社した後は吉本興業に所属し、東京支社長などの要職を約10年間にわたって歴任しました。今回気になったのが、通夜、告別式ともに、吉本芸人の列席がほとんど見られなかったこと。花を届けたり、ブログやFAXでコメントした者は少なくなかっただけに、不思議な印象がありました。

長かったお笑いブームにも、そろそろ収束感が漂い始めてきた今の時期は、ちょうど漫才ブームが終わってしまった時の雰囲気と似ていなくもありません。こうした時期に、横澤プロデューサーだったらどのような手腕を発揮するのでしょうか? 今後、不況もあいまって、さまざまな試行錯誤が繰り広げられるでしょうが、横澤さんには天国から温かく見守っていただきたいです。
【編集部おすすめの購入サイト】
楽天市場でバラエティ番組の DVD を見るAmazon でバラエティ番組の DVD を見る
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます