地形で読み解く、
谷根千ってどんなトコ?
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再開発が進む日暮里駅周辺。JRの駅から谷中方向へは上り坂 |
散策コースとしてここのところ人気の谷根千。これは谷中、根津、千駄木の3つの町名の最初の文字をとったもので、谷中霊園の最寄り駅であるJR日暮里、東京メトロ千代田線根津、千駄木に囲まれたエリアを指します。上野公園や東京大学のある本郷にも近く、江戸時代、隣接する上野に寛永寺が作られた1625年以降、周辺に寺が集まり、現在の寺町が形成されてきたと言われます。その後、このエリアでは第二次世界大戦の戦火を逃れた場所が多かったため、昔ながらの風情が今に残されているのです。
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日暮里駅から谷中霊園への途中にある築地塀。土塀の上に屋根を葺いたもので風情がある |
さて、谷根千エリアを知るためにはまず地形を理解することが大事です。江戸時代、侍とお坊さんは高い土地に住んでおり、谷根千で言うと谷中霊園とその周辺がそうしたエリアに当たります。そして、そこから坂を下ると町人の住むエリアとなり、商店街が広がります。賑やかな谷中銀座は谷中霊園から夕やけだんだんという、観光名所にもなっている坂を下った場所にあるのは、その良い例です。
谷根千エリアとその位置関係
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谷中霊園、東京メトロ千代田線根津、千駄木両駅の位置関係。谷中方面から根津、千駄木の間には必ず坂がある。緑の○印は寺の意味。位置、数ではなく、イメージとしてご覧いただきたい |
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日暮里駅から谷中霊園に上がる御殿坂。上りきったところから今度は夕やけだんだんと呼ばれる階段を下りて谷中銀座に至る |
それ以外でも千駄木駅からは三崎坂(さんさきさか)、根津駅から善光寺坂と谷中霊園に向っては全て上り坂。途中には非常に急な坂もあります。
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両側にマンション、ビルが立ち並ぶ不忍通り。日の当たりにくい場所も多い |
そして下りきったところが不忍通りで、この通りは地域の底に当たる部分を走っていることになります。ただ、昔は多少違っていたようで、不忍通りと平行して川がありました。現在はよみせ通り、へび道という細い道がくねりながら通っていますが、ここに藍染川という川が流れていました。これは都立染井霊園あたりから流れ出て不忍池に注いでいたそうですが、現在は暗渠。往時は蛍の名所で染物にも使われていたとか。近くには昔ながらの店構えの染物屋さんも残されています。
続いて地形と現在の街の関係を見ていきましょう。