1ページ目 【チベット人はチベット自治区だけ住んでいるのではない】
2ページ目 【ダライ・ラマなどチベット仏教のしくみとは?】
3ページ目 【チベット問題の背景・歴史・そして今後はどうなるのか】

チベット仏教とは?

ポタラ宮
ダライ・ラマ5世が建築したポタラ宮。写真:「MONIQUE'S フリー素材写真」
チベット仏教とは、吐蕃王朝時代に入ってきた仏教(大乗仏教)が、土着の宗教と長い年月のなかで融合した独自の仏教だといわれています。

チベット仏教のことを「ラマ教」ということがありますが、ラマとはもともとは「高僧」を意味する言葉です。

そしてチベット仏教はチベットだけでなく、モンゴル族などその他の少数民族、さらにはモンゴルやブータンでも主要な宗教になっています。

チベット仏教にはいくつかの宗派がありますが、15世紀の始め、ツォン・カパがゲルク派をおこしました。ゲルク派は「黄帽教」「黄教」ともいわれますが、これはゲルク派の僧侶が名前の通り黄色い帽子をかぶって他宗派との区別をはかったからです。

ツォン・カパの死後、愛弟子ゲンドゥ・ギャツォがゲルク派のリーダーとなりゲルク派は普及していきます。彼から数えて3代目のリーダーがモンゴル族の部族長から「ダライ・ラマ」の尊称を受けましたが、彼は初代ダライ・ラマをゲンドゥ・ギャツォとして、自らはダライ・ラマ3世と名乗りました。

こうして、チベットにおけるチベット仏教の主流はダライ・ラマを頂点としたゲルク派になったのです。

ダライ・ラマとは?

転生
現にパンチェン・ラマの転生者をめぐって問題が起きており、次代のダライ・ラマとなる転生者についての問題が生まれる日も遠くはない。
ダライ・ラマは「智慧(知恵)の海のような高僧」という意味で、観音菩薩の化身とされています。

そしてダライ・ラマは「転生」します。死んでも生き返ると考えられています。仏教では悟りを開いた者は死ぬと苦しみに満ちた現世にはもう戻らないとされていますが、ダライ・ラマは「それでもなお現世で永遠の修行を続けようとする」ため、転生するのだと考えられているのです。

17世紀、ダライ・ラマ5世の時代、モンゴル族の一派がチベットを占領してダライ・ラマ5世に「献上」しました。こうしてダライ・ラマはチベットの「法王」となり、仏教による政治、つまり政教一致体制が1950年まで(名目的には1959年、ダライ・ラマ14世の亡命まで)行われることになるのです。

転生するのはダライ・ラマだけではありません。ダライ・ラマ5世の教育を行った人が「偉大なる学者」という意味のパンチェン・ラマとなり、以後転生を繰り返しているとされています。パンチェン・ラマは阿弥陀仏の化身とされています。

しかし、1989年にパンチェン・ラマ10世がチベットで死亡した後、11世をめぐってチベット亡命政府と中国がそれぞれ別の少年を認定する事態になっています。チベット亡命政府が認定した少年(ニマ少年)について、中国政府は普通に暮らしているとしていますが、監禁状態にあるとする情報もあります。

最後のページでは、チベットをめぐる国際関係について次のページでみていくことにします。