1ページ目 【政党色が薄かった初期の参議院議員の構成】
2ページ目 【55年体制の成立、自民長期政権と参院選の関係】
3ページ目 【連立政権時代を招いた「衆参ねじれ現象」】

比例代表制が導入・第13回選挙

第13・14回参議院選挙結果
第13回(1983年、上図)・第14回(1986年、下図)参議院選挙の結果。「新自ク・連合」は新自由クラブと社会民主連合の選挙連合。その他*=第二院クラブ1、サラリーマン新党2、福祉党1、税金党1。その他**=新自由クラブ、第二院クラブ、サラリーマン新党、税金党各1。
1983年6月26日施行の第13回選挙から、選挙資金がかかりすぎるという批判が高かった全国区(「銭酷区」と評されたりもしていました)が廃止され、比例代表区となりました。このときの比例代表は、政党名だけを投票する拘束名簿式でした。

そのせいか新党が相次いで結成され(立候補した新党は18)、候補者数も前回の285名から倍近い430名と大幅増加しました。そのため、あまり大きな争点は浮上しませんでした。

結果自民党は議席を維持。新党からはサラリーマン新党が2議席、福祉党が1議席。これらと第2院クラブ、その他が「参議院の会」という会派を結成します。

史上2回目のW選挙で自民圧勝・第14回選挙

任期延長を目論む首相・中曽根康弘による「死んだふり解散」により、1986年7月6日施行の第14回選挙は史上2回目の衆参ダブル選挙となりました。

実績を訴える中曽根自民党の前に野党は沈黙。自民党候補者83名のうち72名が当選する自民の完勝となりました。衆議院では自民党が300議席を獲得、中曽根は総裁任期の延長を勝ち取ることになります。

「ねじれ現象」の発生、第15・16回選挙

第15・16・17回参議院選挙結果
第15回(1989年、上図)・第16回(1992年、中図)・第17回(1995年、下図)の参議院選挙結果。その他*=税金党2、第二院クラブ2、スポーツ平和党1。その他**=第二院クラブ3、スポーツ平和党1。その他***=民主改革連合2、第二院クラブ1、平和・市民1。
1988年の消費税の導入、そしてリクル-ト事件の発覚は国民の自民党への不信を大きく広げることになりました。

そのようななかで1989年に行われた第15回選挙は、さらに選挙直前に就任したばかりの宇野宗佑首相の「女性問題」が発覚、自民党は大敗、過半数割れとなります。

一方、史上初の女性党首として人気が高かった土井たか子率いる社会党は、女性候補者を大量に擁立することで「マドンナ旋風」を起こし、議席を倍近くに伸ばしました(社会党の女性候補は22人当選)。また、労働組合の中央組織「連合」が独自候補を擁立、11名を当選させました。

こうして、衆議院は自民が多数を維持するものの、参議院は野党が多数を占める「ねじれ現象」に自民党は苦しむことになります。

1992年7月26日に施行された第16回選挙は、自民党がイメージを回復して勝利しましたが、それでも議席の過半数を回復することはできませんでした。社会党はこの3年間で失望を買って惨敗します。

また、のちの首相・細川護煕率いる日本新党が4議席を獲得し、政界再編の予感が漂いはじめるようになります。実際翌年、自民党単独政権、そして55年体制は崩壊するのです。

55年体制崩壊を受けて、第17回選挙

1995年7月23日施行の第17回選挙では、政党の構図が一変していました。55年体制が崩壊し、自民党と社会党が連立を組み、野党として新進党が挑戦するということになっていました。

争点らしい争点がないままでしたが、結果自民党の当選議席は46にとどまり、逆に新進党は40にまで迫っていました。この年はちょうど亥年だったこともあり、朝日新聞の石川真澄は自民党の低迷を「亥年現象」と説明しました(詳しくはガイド記事「日本政治の亥年現象ってなんだ?」をごらんください)。

自民党の歴史的敗北・第18回選挙

第18・19・20回参議院選挙結果
第18回(1998年、上図)・第19回(2001年、中図)・第20回(2004年、下図)参議院選挙の結果。
不況、特に金融不安が深刻化するなかで行われた1998年7月12日施行の第18回選挙では、またも構図が変わっていました。

つまり、新進党が解散し、新たに民主党が自民党に挑戦する形になっていたのです。

景気問題が大きな争点になるなか、橋本龍太郎首相の恒久減税の実施に関するコメントが2転3転し、政権への不信は高まりました。こうして自民党は大敗北を喫し、橋本首相は退陣、自民党は公明党・自由党との連立に動くことになります。

小泉政権下での第19・20回選挙

そんな自民党に救世主が現れました。小泉純一郎です。小泉ブームが高まるなかで2001年7月29日に施行された第19回選挙で、自民党は久々に60議席以上を獲得し勝利しますが、それでも議席が過半数に届くことはできませんでした。

一方、自民党との連立パートナー公明党の勢力は堅調。自民党は次第に公明党への依存を強めていきます。ちなみに比例代表区はこのときから現在の「非拘束比例代表名簿式」に移行しています。舛添要一や大橋巨泉など著名人が立候補、当選しました。

しかし、2004年7月11日に施行された第20回選挙では、小泉自民党は当選者数で民主党に1議席及ばない「敗北」を喫します。結局、高い小泉人気をもってしても自民党は単独過半数の回復ができなかったのです。

ここで危機感を感じた小泉政権は、その後、猛烈な勢いで郵政民営化を進めていき、改革を強くアピールしていくことになります。それが翌年の郵政解散、衆議院総選挙での圧勝につながっていきます。

さて、第21回はどのような結果になるのでしょうか?

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