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【イラン政治の今──強硬姿勢はいつまで続くのか】
保守派・改革派の対立が焦点となっているイラン政治
宗教か自由か、保守派と改革派の対立が深いイラン社会、現在は保守派がやや優勢か。(写真はウィキコモンズより) |
しかし1990年代から政治情勢も安定するようになり、ホメイニの死によっても「法学者の統治」制度は崩れることがありませんでした。
このような安定のなか、イランは次第に宗教色の濃い政治を守りたい保守派と、さまざまな自由を要求する改革派との対立が深まっていくことになります。
特にイランは日本と違い、若年人口が非常に多い人口構成になっています。25歳以下人口は60%に達しており、革命前を知らない人々が急増しています。このような彼ら若年層が改革派の中心であり、自由や民主化を求めるという構図になっています。
イランが北朝鮮やフセイン政権下でのイラクと異なる点は、イランには政党こそないものの、政治をめぐって大きな対立や争いが目に見える形で表れている点にあるといえるでしょう。
ハタミ大統領の時代と改革の挫折
このようななか、1997年に「文明間の対話」をかかげるハタミが大統領選挙に当選、ハタミ政権が誕生しました。「文明間の対話」とはすなわち先進諸国との関係改善であり、そのためには先進諸国から非難されている非民主的な政治を改善しようと、ハタミ大統領は考えていました。こうしてハタミ政権のもと、イランの民主化はある程度進んでいきますが、結局はあまりうまくいかなかったといっていいでしょう。
その要因の1つは改革に対する保守派の抵抗です。改革をイスラム社会の堕落と考える保守派は、彼らのよりどころである護憲評議会などを使い、大統領や、改革派が急増した国会を強くけん制していきました。こうした保守派の予想以上の激しい抵抗により、改革は思うように進みませんでした。
もう1つは、アメリカの外交政策にあります。アメリカはハタミ政権になってからも、国交を断絶していたイランと本格的に和解をし、ハタミ改革を側面支援しようとはしませんでした。
クリントン政権はイランを「ならず者国家」にリストアップして敵対姿勢を崩しませんでしたし、ブッシュ大統領に至ってはイランを北朝鮮、フセイン政権下のイラクと並ぶ「悪の枢軸」と呼ぶような調子であったため、ハタミ政権はアメリカの関係改善を果たせませんでした。アメリカとの関係改善がうまくいけば、イラン経済が向上し、改革が民衆の支持によって進んでいった可能性は否定できません。
そして、「9.11(アメリカ同時多発テロ)」後のイスラム・ナショナリズムの高揚によって、西欧的な民主化は保守派によってより警戒され、これ以降改革はまったく進展しなくなります。
アフマディネジャド大統領の登場
原油高で経済成長率は堅調なものの、高インフレと高失業率に悩むイラン。反米だけで民衆を引き込むことができるだろうか。(資料出典:財団法人海外投融資情報財団サイト) |
実際、アフマディネジャド大統領は現在まで、国際社会に向けて強硬なメッセージを発し続けています。なかでも懸念されているのが核開発の問題で、これはハタミ政権からの課題でしたが、アフマディネジャド大統領はかなり強気に、かつ挑発的な言葉で核開発の強行を主張しています。
また、彼が「ホメイニ原理主義」であることも懸念材料です。イスラエルの存在を否定し、アメリカと厳しく対立してきたホメイニの過激な国際観を支持してきたこの大統領が、国際社会のなかでどう振る舞っていくのかが心配されています。
もっとも、原油高のために好調な経済を今後どう運営していくかが、国内的な問題となるでしょう。特に2ケタに上る高いインフレ率と失業率を今後どうしていくか、何もできなければまた改革の気運が高まり、2008年予定の大統領選挙に影響が出てくるかもしれません。
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