2ページ目 【1980年代、英米で生まれた「新保守主義」】
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【1980年代、英米で生まれた「新保守主義」】
アメリカの「保守主義」とは
伝統を保守するイギリス、自由を保守するアメリカ。もともと両国の保守主義には違いがある。 |
アメリカは「自由の国」として生まれました。この自由を守ることがアメリカの保守主義の原点であり、そのあたりがイギリスと大きく異なるところです。
つまり、アメリカにはイギリスのような守るべき伝統が最初はほとんどなかった。それゆえに、独立宣言でうたわれた自由の精神が、アメリカにおいて「保守」されるものとなったのです。
ただ、アメリカの保守主義にはさまざまな系統があるといわれます。建国民の末裔である東部の人々=エスタブリッシュメントたちによる保守主義は資本主義よりの保守主義であり、西部の人々、「カウボーイ」たちによるオールド・ライトはどちらかというと精神的な自由主義を尊重します。
1970年代末から80年代になると、キリスト教的な保守主義も成長していきます。60~70年代の「退廃的な」空気に危機感を覚えた人々の巻き返しであり、アメリカを開拓したピューリタン精神的なものを守ろうとする人々であったりします。
アメリカの共和党は、このような人たちが基盤となっている政党です。
「新保守主義」の誕生
さて、こうした違いのある英米の保守主義でしたが、1970年代ころから、徐々に接近していくことになります。戦後、先進国の経済体制となったのはケインズ主義でした。自由放任経済に歯止めをかけ、国家が財政支出や積極的な福祉によって国民の生活を守っていく。これが経済の理想型だと、1960年代までは思われていました。
しかし、先進国は1970年代、オイルショックに襲われます。オイルショックによる不況に対して、政府はいくらケインズ主義に基づいて財政支出をしても、逆にインフレーション(スタグフレーション)を招くだけで、危機は強まる一方でした。
さらにこの過程のなかで、機能が拡大し肥大化した政府の非効率性が明らかになり、「政府の失敗」が今日の経済危機を招いているといわれるようになります。
イギリスでは、この事態に対し、労働党政権が行っていた社会民主主義路線をやめさせ、政府機能の縮小によりこれにあたろうという考え方が保守党から生まれました。こうして1980年代、保守党のサッチャーが首相となり、大胆な福祉削減政策や民営化政策などを行う「サッチャリズム」が展開されたのでした。
アメリカでは、政府の機能拡大をなくし、不況を打破するには政府の経済介入をなくすべきだという考え方が強まり、やがてそれは減税でもって行おうとする「サプライサイド経済学」が生まれ、自由を好む保守主義と結びつきます。
こうして1980年、共和党のレーガン政権が誕生、サプライサイド理論を取り入れた「レーガノミックス」がスタートします。
こうして、英米の保守主義は「新保守主義」となって結実したのです。
新保守主義の特徴
自由や伝統を「守る」ために「大胆な改革」を行う、それが1980年代からの「新保守主義」の流れ。 |
・自由経済の擁護……それゆえ、新保守主義は「新自由主義」とよばれることもあります。ケインズ的な経済を急進的で社会主義的なものとして排除しようとします。急進的なものを嫌うイギリス保守主義と自由を守ろうとするアメリカ保守主義はここで合致するのです。
・伝統の擁護……これは社会民主主義や共産主義への激しい反発として現れました。また、国威の発揚がうたわれ、イギリスのフォークランド紛争や、アメリカのグレナダ侵攻などを正当化しました。
・改革をいとわない……上の2つのためなら、大胆な改革を行おうとします。保守だからといって、何もしないというわけではない。攻撃的な保守主義だといえます。
小泉改革もこの「新保守主義」の延長線であり、それを言葉ではっきり示したのが安倍首相であるといえるでしょう。次ページでは、日本の「新保守主義」、そして安倍政権のテーマ「開かれた保守主義」について解説していきます。