「政治の超基礎講座」、司法編第2回目です。司法を担う裁判官について今回はお話していきます。裁判官は誰がどうやって任命するの? 裁判官は上司の支持に従って裁判する必要があるの? そのようなお話です。
1ページ目 【司法権の独立と「裁判官の独立」】
2ページ目 【裁判官をすぐに辞めさせることはできない】
3ページ目 【裁判官への任命とその任期とは】
【司法権の独立と「裁判官の独立」】
「司法権の独立」の意義とは
司法権が独立する意義は、裁判所が政治や行政などにおもねらず人々の人権を守ることにある。 |
立法権・行政権・司法権の3つの権力が分かれて権力の集中を防ぐという三権分立制。日本をはじめ多くの民主主義国家がこの体制を採用しているわけですけれども、なかでも「司法権の独立」が強調されるのはなぜでしょう。
それは、司法権に「人権の最終的な保障・救済」の機能が求められているからです。
立法権の作った悪法に基づいて不条理に逮捕されてしまった人たちを裁判で救済する。行政権が法を濫用して侵そうとする人権を裁判でしっかり保障する。
特に民主国家では立法権・行政権ともに政党政治の影響を受けやすいという面があります。そのようなものから裁判所は「理性の使い手」として人々を守ることが要請されているといえます。
そのため、とりわけ司法権は、どこからも干渉されず、高度な独立性が要求されているのです。
国政調査権の限界
ではたとえば、国会は裁判所の下した判決に対して意義申し立てを行うことができるのでしょうか。戦後間もなく「浦和事件」というものがありました。親子無理心中を図ったけれども死に切れなかった母親に対し、ある裁判所が執行猶予の判決が出したのですが、これに対して「刑が軽すぎる」と国会が反発、国政調査権を使って裁判そのものの調査をしようとしました。
しかし最高裁判所は、裁判そのものを司法以外の権力が審査することは司法権の独立を侵すとして猛烈な抗議をしました。そのこと以来、裁判の内容そのものを国会などが審査するようなことは事実上できなくなっています。
司法権の独立確保の歴史
司法権の独立が憲法上確立していなかった戦前にも、司法権の独立を確立しようとした人がいました。当時の最高裁判所に相当する大審院の院長、児島惟謙(いけん)です。児島は、日本史でも有名な「大津事件」(ロシアの皇太子が日本の警察官によって斬り付けられ負傷させられた事件)の裁判において、ロシアへの配慮から死刑を求める政府の要求を退け、あくまでも法を遵守して(今でいう)無期懲役を言い渡したのでした。
こうして児島は政府からの干渉から「司法権の独立」を貫くことができたのでした。このことは高く評価されています。
……しかし、児島はこの判決を言い渡すため、政府に従って死刑を言い渡そうと主張する裁判官たちを説得するという行動に出たのです。裁判長だからといって、他の裁判官を説得することは許されるのでしょうか?
大事なのは「裁判官の独立」
裁判官ひとりひとりが干渉を受けず独立して裁判を行うことが司法権の独立には欠かせない原則。 |
そういう意味で、児島が行った説得行為は、裁判官への干渉行為にあたるもので、「裁判官の独立」に反すると考えられています。ただ、児島がそうでもしなければ、肝心な「裁判所(司法権)の独立」が侵されてしまっていたのですが……。
憲法にも、「裁判官の独立」が尊重されるべきことが規定されています。
日本国憲法 第76条3項
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」(※下線はガイドによる)
むかし、「平賀書簡事件」というのがありました。ある裁判を行っていた裁判官に、その裁判所の所長がアドバイスとして「書簡」を送ったものでした。そこにはこういう判決をしたほうがいいということまで書かれてありました。
この所長の行為は「裁判官の独立」を侵す憲法違反行為であるとされ問題になりました。結局、所長は最高裁判所から注意処分を受け、転任させられました。
★さて次ページでは、「裁判官の独立」にかかせない「裁判官の身分保障」についてみていくことにしましょう。