2ページ目 【司法でも解決できない争いがある?】
3ページ目 【司法を担う裁判所のしくみとは?】
【司法でも解決できない争いがある?】
法律の適用には限界がある
司法とはあくまで法律を適用するはたらき。法律を適用できない争いに司法をはたらかせることはできない。 |
例えば、これから述べるような事件や争いは「具体的な」ものではなく、司法の対象にはならないと考えられています。
○美術品の価値のみについての論争
○宗教上の教義のみについての論争
○法律の解釈のみについての論争
美術品の価値のみについての論争
例えば明らかに安い美術品なのに、有名画家のものと騙されてお金を払った場合は、「具体的事件」になるでしょう。しかし、騙されてもないのに「自分が思ったよりこの美術品の価値は安いから返金しろ」というような、その人の主観が強くにじみ出た争いは、具体的なものとはいいがたく、法律を適用する余地がありません。よって、司法の対象外となります。
ほかにも文学賞の選考基準をめぐるような争いも具体的事件にはならないでしょう。審査員が買収など不正行為を行っているのでなければ、どの作品が本当にこの文学賞に値するかなどということは、裁判で決められるものではありません。
宗教上の教義のみについての論争
たとえばある宗教家からお守りとしてなにかが入った袋をもらった。それを大切に持っていたが、あるとき袋の中身を見てみたら、ただの石ころだった。謝れ……というような事件は、司法の対象となるものではありません。そのお守りを高額なお金で売り付けられていたら「霊感商法」にもなるでしょうが、ただでもらったものですし、金銭的損害もでていない。石ころに腹が立った、というだけですから。
しかも、宗教家が「いや、この石は霊的な力がある」と主張すれば、もはやここから先はやはり主観的な個人の信仰心の話になってしまい、法律を適用してどうこうできるものではありません。
また、たとえ金銭的な問題が起きていたとしても、行為を行った人に悪意がなく、教義の内容そのものを審査しなければ事件が解決できない場合には、やはり司法のはたらきは及ばないと考えられています。
これは、宗教の自律性を尊重するためと考えられています。もちろん、宗教団体であっても、悪意をもって信者をだまし、安いものを法外な値段で売るようなことについては司法の対象になることは言うまでもありません。
法律の解釈のみについての論争
犯罪や権利侵害・トラブルなど具体的な事件があって初めて訴訟を起こすことができる。司法は抽象的な議論をする場ではない。 |
たとえば、ある高層マンションが建設されると日照権が侵害されるようなことが起こっているとします。これは建築基準法に違反しているのではないかと考える住民たちが、違反しているとは思わない建築業者を相手に建築差し止めを訴えて、その中で建築基準法違反かどうか、解釈の議論をすることはOKです。
しかし、近くにそんなマンションも立っていないし計画もない、そんな環境にいる住民のひとりが、もし高いマンションが建てられたらどうしよう、この建築基準法に違反するのではないか……ということを、裁判所にはっきりしてもらうために訴えることはできません。そもそも誰かの権利が侵害されるような「事件」がないわけですから。
今の自衛隊の前身である警察予備隊が創設されたとき、その創設が憲法違反(戦力の不保持への違反)ではないかという訴えを当時の政治家たちが最高裁判所に起こしたことがあります。
これについて最高裁判所は「裁判所が具体的なことが予想されていないのに将来のことを予想して法令の解釈をすることはできない」として、この訴えを却下しました。
たとえば警察予備隊の基地にするため、ということで土地を強制収用されそうな人(つまり所有権を侵害されそうな人)が、警察予備隊は戦力になるおそれがあるから憲法違反、だから強制収用はしてはいけない、と訴えることはできたでしょう。
しかし、そんな権利侵害のおそれもない人たちが、単に警察予備隊は戦力になるから憲法違反だと訴えても、裁判所は判断できない、というわけです。
★しかしそんな具体的事件がなくても訴えられる例外的な制度もあります。裁判所のしくみと合わせて、次ページでお話していきましょう。