2ページ目 【議会による内閣不信任、内閣による議会解散の原理とは?】
3ページ目 【日本国憲法における不信任決議・解散・総辞職の制度を知ろう】
【議会による内閣不信任、内閣による議会解散の原理とは?】
「不信任決議」の可否を国民に問う=解散
議会を解散することによって、内閣は信任を議会ではなく直接国民に問うことができる。これも議院内閣制のポイントの1つだ |
つまり、議会の判断はほんとうに正しいのか。国民に自分たちを信任するかしないか、改めて選挙で聞いてみよう。これが、「解散」の意義なのです。
現在、イギリスや日本は解散を自由に行っていますが、今でもこのルールの意義を忠実に守っている国も少なくありません。
たとえばドイツでは、連邦首相が連邦議会(下院)を解散できるのは、自分が提出した「信任決議案が否決された」場合だけです。つまり不信任決議の対抗措置としての解散しかドイツでは認められていないのですね。
そのため、ドイツでは戦後3回しか解散がありません(1972、1983、2006年)。小泉首相のように「郵政民営化について国民に信を問う」場合は、自分で出した「信任決議案」(「不信任」ではありません!)を自分たち与党で可決するか、棄権して可決させてしまうかしか、ないのですね。
日本の内閣はいつでも解散できる
日本の内閣は、いつでも衆議院を解散できると考えられています。憲法第7条3号には、天皇の権限(国事行為)として、衆議院の解散が規定されています。しかし、天皇の権限を実質的に決定するのは内閣ですから、内閣が天皇にお願いして好きなときに解散できる、というわけです。
こうして、日本ではドイツとは逆に、衆議院は解散されるのが普通です。戦後、解散されずに衆議院議員が任期満了を迎えたことは1度しかありません。
解散の理由は、不信任決議の他には、このようなものが普通です。
(1)政権を獲得したのち、さらに基盤を強化するため、議席増を狙って衆議院を解散する。
(2)任期満了が近くなると、ただ待っているだけではそのうちいつスキャンダルなどがおこって逆風が吹いてしまうかわからないので、そうならないうちに時期を見計らって解散する。
首相(内閣)が解散権を持っているのに、ただぼうっと任期満了を待っているのは戦略的にはよくないでしょう。自分の有利なときを見計らって解散するのが「永田町の常識」です。
そのため、衆議院議員の任期が3年をこえると、永田町では「そろそろ『解散風』が吹いてきたな……」とささやきあうようになります。
かつては日本でもあった解散権をめぐる争い
最高裁判所は「衆議院の解散の是非は裁判所の審査対象外」としたため、事実上、内閣による自由な衆議院解散の権利が確認された(Photo:(c)東京発フリー写真素材集) |
ただ、憲法第69条にはこう規定があります。
日本国憲法第69条
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
このため、憲法制定当初は「衆議院解散は不信任決議(または信任決議否決)されたときしかできない」と考えられていました。実際、新憲法のもとでの最初の解散は、GHQ(連合国軍総指令部)と協議して、「内閣不信任案を与野党で可決する」ことで行われました。
このため、新憲法最初の解散は「なれあい解散」というちょっと変なネーミングがされてしまいました(1947年)。
しかし、2度目の解散は内閣の権限として行われました。これを不服とした議員によって起こされた裁判がいわゆる「苫米地訴訟」です。
最高裁は、いわゆる「統治行為論」にそって、このような判決を出しました。
「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときは……裁判所の審査権の外にあり、その判断は……最終的には国民の政治判断に委ねられていると解すべきである。……衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であって、……有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきことは既に前段説示するところによって明らかである」(有斐閣刊『新版憲法判例』より引用)
これによって、内閣の自由な解散権が認められることになりました。
では次ページで、日本国憲法の具体的な解散・総辞職の規定を見ていきましょう。