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悩める大国・フランス政治と国民(2ページ目)

若者の雇用をめぐって政府と学生・労働組合が深刻な対立を続け、大規模デモも頻発しているフランス。昨年も移民系国民の暴動が全土を覆いました。「悩める大国」フランス政治の基礎知識です。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【フランス政治の特徴はどこからきているのか】
2ページ目 【左右対立だけでは語られない、フランスの政治勢力】
3ページ目 【「中道共和国」になったフランスの抱える新たな悩み】

【左右対立だけでは語られない、フランスの政治勢力】

県知事に就くのはフランスの中央官僚

イギリスとフランスの地方制度
イギリスが分権型の地方自治を進めていったのに対し、フランスは中央集権化を進めていった。府県は中央省庁の出先機関とされる
19世紀始め皇帝となったナポレオンは、強力な中央集権化を進め、これに基づく地方制度が約1世紀、1980年代まで続くことになります。

フランスにはもともと自然的な経緯で生まれたコミューンがあり、これが現在の市町村になっているのですが、中央政府は人為的に設定された県を置き、その県知事はすべて中央政府から派遣するようにしました。

これが、20数年前の1980年代まで続くことになるのです。

現在、県知事の権限は縮小され、事実上県議会議長が県政の中心となるという、一種の議院内閣制をとっています(そのため、統一地方選挙は重要な政治イベント)。

しかしそれでも県知事は大統領令によって任命され、中央エリート官僚が着任し、中央政府の代理人としての権限を持ち、自治体への通達や県内行政の指揮監督権を有しています。

自治体(もっともアメリカの州は自治体以上の存在ですが)の自治権が広く認められているイギリスやアメリカでは、社会政策の不満はまず自治体にぶつけらるわけです。しかし、集権的なフランスでは「直接行動」を「中央政府にぶつける」ことがもっとも有効だと考えられている向きがあるようです。

フランス政治勢力(1)オルレアニズム

フランス史
18世紀の終わりから20世紀までの200年あまりの間、これだけの政治体制の変遷を経てきたフランス。「第6共和制」はあるのだろうか?
「すべての政治体制を試した」といわれるフランス。フランス革命後も共和制を5つ、王政と帝政を2つ実施。

こうしたなか、フランスの政治勢力は実に多元的なものになりました。

1830年の7月革命によって、復古的な王党派は姿を消すことになります。変わって台頭してきたのが議会派でした。この議会派は当初、大ブルジョアたちによって担われていました。

1848年、ヨーロッパに市民革命の嵐を吹き起こすきっかけをつくった2月革命により、王政は廃止され、第2共和制へと移行します。しかし、議会派は共和派といわれるインテリたちに受け継がれていきます。

この議会派は、1830~48年まで国王として立憲王政を目指した国王ルイ・フィリップ(オルレアン公)から、オルレアニズム、といいます。

この系譜を引くのが、穏健保守派、または中道派ともいわれ、現在の政党では「自由民主主義」(DL)、フランス民主連合(UDF)などがこの系譜を引いています。

フランス政治勢力(2)ボナパルティズム・ゴーリズム

一方、第2共和制で台頭したのがナポレオンのおい、ルイ・ナポレオン、後の皇帝ナポレオン3世です。彼が「第2帝政」は、「ボナパルティズム」的政治、といわれます。

ボナパルティズムを簡単に説明すると、
・リーダーの個人的カリスマによる支配(ナポレオン3世など)
・国民投票の実施などによる大衆からの議会を超えた支持
ということになると思われます。

その手法は戦後、第5共和制の生みの親、ド・ゴールによる「ゴーリズム」にもみることができます。「ゴーリズム」は20世紀版または民主主義版「ボナパルティズム」ということができるでしょう。

第4共和制が危機に瀕していた50年代後半、彼もまた党派性を超えた形で大統領に就任し、多くの国民投票実施によって政党・議会の頭越しに国民の支持を取り付け、政策を実施していきました。

ボナパルティズムの特徴

ボナパルティズムは、当然のように支配者のカリスマが低下すれば崩壊します。

第2帝政は、1971年、普仏戦争(プロイセン(北ドイツ))との戦争による皇帝の「セダンの降伏」によりたちまち倒れてしまいます。

また、ド・ゴール政権も、1968年の学生運動から端を発した同年5月のゼネスト──これを「5月革命」といいます──により大きく威信が傷付き、翌69年、議会上院と地方制度改革について自らが発案した国民投票が否決され、辞任をよぎなくされます。

しかし、今でもなおボナパルティズム=ゴーリズム的手法は生きています。それは、フランス政治を運営するには議会制からの支持よりも大衆からの支持の方が大切とされるからです。特に、ド・ゴールが作った第5共和国においては、なおさら重要になっているのです(これはあとで詳しく述べます)。

ゴーリズム的伝統を受け継いでいるのが今のシラク大統領の与党で、UDFなどから一部をよんで再編された国民運動連合(UMF)です(党首はサルコジ内相)。

フランス政治勢力(3)左派勢力

左派勢力は、フランス革命当時からその活動を始めていました。第2帝政の崩壊直後、パリでおよそ3ヶ月間だけ存続した世界史上初の社会主義政権「パリ=コミューン」は、その思想・活動が広まっていたことを物語ります。

そして第3共和制において、左翼勢力は勢力を伸ばし、1930年代の世界恐慌時代、穏健な社会党と急進的な共産党は徐々に接近、「人民戦線」として政権を担うようになります。

しかし頻発するストライキへの対応、隣国でのびるファシズム政権への脅威への対応、さまざまな要素がその運営を難しくし、結果人民戦線政府は崩壊、そしてフランスは一時ドイツの占領下におかれることになるのです。

戦後樹立された第4共和制において左翼勢力の中でもっとも議席を伸ばしたのは共産党でした。それどころか、共産党は常に「比較第一党」だったのです。他の政党は、左右結集して政権を作らざるを得ませんでした。

その後、社会党のミッテランが登場、社会党を急速にまとめあげ、1981年から14年間、大統領に君臨します。この結果、共産党は大きくちょう落し、左派は社会党が代表するようになりました。

フランス政治勢力(4)極右・極左

また、フランスでは「自由」の伝統から、極右・極左勢力も依然として存在します。これがまたフランス政治の多元化をもたらしています。

極右の一番手は国民戦線(FN)で、80年代から旋風を巻き起こしました。極左の代表はトロツキスト政党「労働者の闘い党」(LO)で、共に党首(FNはルペン、LOはラギエ)のカリスマによるところが多いといわれています。

2002年の大統領選挙では、この2つの勢力が台頭し、FNのルペンは決選投票にまで残りました。その理由を、次のページで説明していきたいと思います。
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