2ページ目 【今もなお「天秤を傾ける」力を持つイギリス国王の権限と影響力】
3ページ目 【国王が「孤独な決断」を迫られるとき─国民からの信頼は欠かせない】
【今もなお「天秤を傾ける」力を持つイギリス国王の権限と影響力】
「これしかできない」天皇と「これ以外はできる」イギリス国王
国王の権利が制限されたとはいえ、国の重要な意思決定を行うことができるのは国王だけです。首相の任命、下院の解散、条約の締結などは国王がイエスといわなければ実行できません。そうはいっても前ページで説明した「憲法的慣習」によって、それらのことはまず、国王の意思ではなく首相ら内閣の助言に基づいて行われることになっていますから、国王が首相に助言されてノーということはできません。
ただし、日本の天皇と違い、個人的な権利は残されています。日本の天皇は、国事行為以外の行為を行ってはならないと憲法で規定されています。しかし、イギリスの国王は、政治的行為が100%限定されているわけではありません。
つまり、法と「憲法的慣習」でやっちゃいけない、とされていること以外は、やってもいいわけです。ここに、「これしかやっちゃいけない」と規定されている天皇との大きな違いがあるのです。
イギリス国王のかな~り威圧的な権利
では、国王がやってもいい権利はいったいなんなのか。政治経済について深い考察を行ったことで知られるバジョットは、著書『イギリス憲法』のなかで、残された国王の権利をこう表現しています。君主は、わが国のような立憲君主制の下で、3つの権利を有している。すなわち「諮問を求める権利」、「激励する権利」、および「警告する権利」(日本語訳は『概説イギリス憲法』加藤紘捷著、勁草書房より)
「諮問を求める権利」というのはちょっと難しいかもしれませんが、要は、政治についてちゃんとした説明を聴く権利だと思っていただければいいと思います。
つまり、今の制度の下でも、国王は政治について深く知り、うまくやっている首相に対しては「よくやった。その方針でもっとがんばれ」ということができ、国王がこれは・・・と思う首相には「それじゃあかんのちゃうか」という権利があるということなのですね。
これは、よほど肝が座っている人以外にとっては、かなり威圧感のある権利です。ためしに、小泉首相が天皇に呼び出されて怒られている様子を想像してみましょう。そりゃー、びびりますよね。
(ちなみに、戦前の近衛文麿首相は、昭和天皇の前で平然と膝を組んで話をしていたらしいです。周囲はかなり肝を冷やしたらしいですが。おなじく戦前の田中義一首相は、昭和天皇の激怒をくらって翌年ショックで死にました。人それぞれ・・・)
政治のてんびんを傾けたエリザベス女王
今のエリザベス女王はどうなのでしょう。女王は、毎週火曜日、首相に会います。あの鉄の女サッチャー元首相によると、この拝謁が単なる形式的なものだとか、社交的上の儀礼に限られていると想像する者がいたら完全に間違いである。(『英国の立憲君主制』ヴァーノン・ボグダナー著、小室輝久・笹川隆太郎・ハルバーシュタット共訳、木鐸社)
70年代初期のヒース首相も、同様のことを言っています。
また、後に首相になり、引き続いてローデシア問題(ローデシアとは今のジンバブエ。当時、イギリス系白人の政権が勝手に独立し、現地の黒人と紛争を抱えていた。当時のローデシアは「イギリス連邦」の一部だったので、イギリスにとっても大きな問題だった)にあたることになるキャラハン外相は、
当然ながら女王の意見は、天秤を傾けるに十分であった。女王は、コモンウェルス(筆者注:イギリス連邦のこと)についての権威であり、私はその意見を尊重したからである。常々思っているのだが、このローデシアについての女王のイニシアティブは、いつ、いかにして、国王が自らの幅広い経験により、かつ、完全に立憲的節度を持って、大臣たちを助言し、奨励すべく効果的に関与することができるかを示す申し分のない例であった。(同前掲書より、下線筆者)
といっています。キャラハンは左派労働党ですからね(はっきりいってこのころの労働党は今のブレア労働党より思いっきり左)。それにしてもなお、この影響力です。
イギリス国王は結構実質的権力を持っている
このように、日本の天皇とイギリス国王の政治に与えるインパクトの違いは、ここまで大きいのです。イギリス国王は、単なる象徴ではありません。いざ、というとき、キャラハンがいうように、「天秤を傾ける」ほどの力を持っているのです。このように、実質的力を持っているからこそ、国王にはふさわしい人になってもらいたいのです。男性に限るとか女性でもいいじゃないかとか、そんな形式的な問題じゃないんですね。ちゃんとした人格者で賢い人に、国王になってもらいたいのです。
さらに、国王が力を発揮する場面があります。それは、次ページで解説します。