(2005.02.15)

2月11日、電撃的に発表されたイギリス・チャールズ皇太子とカミラさんとの結婚。イギリス人は複雑に受け止めていますが、いちおう賛成をしているようです。しかし、それでもチャールズ皇太子が王位を継承するのは反対する人が多い。どういうことでしょう。

1ページ目 【「中世」のシステムを修正・追加してできたイギリス民主政治】
2ページ目 【今もなお「天秤を傾ける」力を持つイギリス国王の権限と影響力】
3ページ目 【国王が「孤独な決断」を迫られるとき─国民からの信頼は欠かせない】

【「中世」のシステムを修正・追加してできたイギリス民主政治】

日本の天皇制とイギリスの王制の違い

イギリス政治を知る際、まず頭のなかに入れておかなければいけないことがあります。それは、「イギリスには中世からの法体系がそのまま生きている」ということです。

近代になって独立したアメリカなどを除くと、日本を含め、現代の先進民主主義国家は、どんな形であれ、1度中世の法体系から、近代の民主的な法体系にがらっと切り替えているのですね。多くの国では、それは「憲法」を作ることで実現されています。

日本も、明治時代に「大日本帝国憲法」を、戦後に今の「日本国憲法」を作り、民主主義体制が確立したわけです。だから、天皇制が古代からえんえん続いていても、律令制度なんかが復活する余地はまったくないわけです。

ところが、イギリスはそうではないのです。中世の法体系を、活かすところは活かし、追加するところは追加しながら、今日の民主制度を作ってきたのです。

だから、今の日本では考えられませんが、鎌倉幕府が作った御成敗式目なんかよりも前に作られた法がいまだに有効なのです。この事実を知らないと、イギリス政治の理解が難しいのです。

イギリスの歴史は国王権力の制限の歴史

そんなイギリスの政治史を中世からざっと見ていくと、イギリスの政治史が国王の権力を、主に議会がどんどん制限していく歴史としてとらえることができます。

まず1215年、当時のイングランド王(このときいわゆるイギリス=連合王国はまだなかったのです。くわしくはイングランドって、どこ?をご参照ください)ジョン王が、勝手に増税して戦争するわで国が混乱します。

そのとき、怒った貴族たちがジョン王に詰め寄ってむりやり宣言させたのが「マグナ・カルタ」でした。勝手に税金とらない、むやみに人を逮捕しない、などです。これが、国王の権利が制限された最初でした。

まあ、そうはいってもそれを平然と破る国王なんかも出てきて、マグナ・カルタ制定後にできた議会と国王は対立するようになります。その結果清教徒革命が起こって国王が一回処刑されたりするのですが、うまくいかなくてまた王制に戻ります。

で、また国王と議会の対立がピークを迎え、議会は1689年、国王ジェームズ2世を追放し、新しく共同国王として招かれたウィリアム3世・メアリー夫妻に「権利章典」を受諾させます。ここで、国王の法律執行停止権を無効とし、国王が法の支配の下にあることが明確になるわけです(これが名誉革命)。

国王が従わなくてはならない「憲法的慣習」

さらに、日本人の感覚からすると変に思うかもしれませんが、この後さまざまな「憲法的慣習」つまり憲法に匹敵する慣習が生まれ、国王はそれにも従わなくてはならなくなりました。

ちょっとあげてみると、
・国王は大臣の助言に従って行動しなければならない。
・国王は首相を下院の多数党の党首を任命しなければならない。
・国王は首相を下院議員から選ばなくてはならない。
・国王は首相の大臣任命に同意しなければならない。
・大臣は連帯して議会に責任を負う。
・内閣が下院の信任を失ったら国王に総辞職か下院の解散を助言しなくてはならない

こんな慣習が積み上げられて、イギリスの今の民主政治が確立されたのですね。

しかし、国王の権力は基本的に中世のままなわけで、

とはいえ、さっきもいったようにイギリスは「中世のまま」今にいたっています。ということは、国王の権利は、なんだかんだいってまだ結構残っているわけです。次のページで解説しましょう。