(2004.06.12)

1ページ目 【能弁政治家が「あーうー総理」になったわけ】
2ページ目 【発言で試される政治家の素質】
3ページ目 【失言大臣に命を預けられるか】

【能弁政治家が「あーうー総理」になったわけ】

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「アーウー総理」大平正芳


1978年から1980年まで在職し、選挙中現職のまま亡くなった第68・69代内閣総理大臣大平正芳。彼は「アーウー総理」といわれ、まさに「無能政治家」のレッテルを貼られてしまったのでした。

こんな感じです。

「あーーーーーーーーーーーーー、その件については、うーーーーーーーーーーーー、・・・・でありまして、あーーーーーーーーーー」

その風貌から、「鈍牛」ともいわれました。動きの鈍い牛。発言も鈍い。マスコミも国民も、牛だアーウー総理だとさんざ揶揄(やゆ)していたのですね。お若くてご存じない方は親御さん、おじいさんおばあさんなんかに聞いてみて下さい。そんなことをいうと思いますよ。

鈍牛総理の意外な一面


ところが、実際の彼はアーウーだ鈍牛だ、そんなどころではない、能弁で繊細な感覚の持ち主でした。彼が能弁であったことは、むかしの資料からもよくわかります。倒れる前の、選挙演説でも、彼の能弁ぶりはみごとであった、という声も聞かれました。

議論好きでした。『週刊東洋経済』の、今はなき名物コーナー「覆面座談会」にも、しょっちゅう(匿名ですが)顔を出していました。そこでも能弁ぶりを発揮していた、ということが「覆面座談会」の最終回で語られていましたしたっけ。

繊細な人柄もその最終回で語られていました。彼が自民党総裁に当選し内閣総理大臣に就任する前日、東洋経済新報社に赴き、「私は明日から総理になるのでもう覆面座談会には参加できません」と丁重にあいさつに来た人でした。

大平首相はなぜ「アーウー」になったのか


そんな彼がなぜ「アーウー」政治家になってしまったのか。彼は、1960年代、官房長官、外務大臣など要職を歴任します。いずれも、その発言が注視される職です。

官房長官は、内閣のスポークスマンであり、内閣の取りまとめ役でもあります。いつぞやの記事でも書きましたが、オフレコ記事で「政府首脳」とくれば、官房長官のことを指します。官房長官の発言は、内閣の見解とみなされるわけです。

外務大臣の発言は、さらに重い。日本国としての見解とみなされるわけです。こういえば、ワシントンが、北京が、モスクワが、こう反応する、ああ反応する。そんな要職です。官房長官同様、神経つかいます。

そんなことから、彼はいつしか発言に慎重になり、失言だけはしないよう、公式の場では言葉を選んで選んでしゃべるようになった。これが、「アーウー」の始まりだったのです。相当なプレッシャーがかかっていたのですね。