2ページ目 【主権という考えは近代になって生まれた】
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【主権という考えは近代になって生まれた】
もともとは国王の独裁的権力を主張するための理論だった
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主権という考えは、もともと近代初期のヨーロッパで、国王の絶対的権力の理論としてつくりだされたものです。
中世ヨーロッパでは、「国家」といっても、その中には各地にやれ公爵領だの伯爵領だの騎士の領地だの、へたをすればよその国の国王の私有地など、てんでばらばらで、国王の権力は非常に限られていました。国家の領域内すべてを貫く国家権力などは、存在しないに等しかったのですね。
しかも、中世は今のローマ法王、当時は教皇といっていましたが、教皇や、ドイツなんかでは神聖ローマ皇帝とかいう人びとの国家を越えた権力が強く、国王の頭越しに権力が働く、ということもあったのですね。
さて、そんな中世ヨーロッパ最大のできごとが教皇が主導した「十字軍戦争(キリスト教徒によるイスラム教徒からの聖地奪回運動)」です。けっきょくこれが挫折し、教皇権威も落ち、それを後ろ楯にした神聖ローマ皇帝の権威も落ちて、相対的に国王の力が強まってきました。
しかも、十字軍にかり出された伯爵だの騎士だのいった連中は疲弊し、没落してしまって、ますます国王の権力が強化される。そういったなかで、国王は国家という領域の中では最高の権力、つまり主権を持っているんだよ、という考えが、生まれてきたのですね。
こうして主権は次第に絶対視され、そのうち市民革命によって主権を持つ者が国王から人民に移っていく中でも、国家の持つ主権は侵すことができないものとして国際法的に認識されるようになりました。
さらに、そこから主権は平等であるという原則も確立します。国土・人口などに関係なく、すべての国家の主権は平等である。とてつもない領土を持つロシアの主権と、ディズニーランドほどの大きさしかないバチカン市国の主権は、ともに最高の権力であるため、平等です。これは、国家はみな平等であるという原理に結びつくわけです。
●国際連合憲章 第2条1項
この機構(筆者注、国連のこと)は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。
もっとも、主権の絶対性は、20世紀になってすこしづつ修正されはじめます。主権国家といえども、条約など国際法には従わなくてはなりません。国連などの国際組織が、各国の主権を制限するような場面も、しばしばみられるようになっています。
EU加盟の12ヵ国は、単一通貨ユーロを導入することによって、主権のうち、「通貨を国内で独占的に発行する」権利を放棄したわけです。日本が1911年になってようやく手にした「関税自主権」つまり輸入品に関税を自由にかけられるという重要な主権の一部も、いまや国家間の話し合いによってじょじょに失われつつあります。
しかし、それぞれの国家に、それぞれ違う歴史・文化・宗教などを持つ国民というものがある限り、ある国の主権が一方的に蹂躙(じゅうりん)されることは今後も許されないことでしょう。
次のページでは、国家の主権がおよぶ範囲について、簡単に解説をしていきましょう。