(2003.05.13)
1ページ目 【ヨルダンの国名、由来はサウジアラビアと同じ】
2ページ目 【イラクとヨルダン、むかしはほんとの兄弟国だった】
3ページ目 【八方美人にならざるを得ないヨルダンの事情】
【ヨルダンの国名、由来はサウジアラビアと同じ】
ヨルダンの王様はアラブの「名門」ハッシム家
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アンマン空港で毎日新聞記者が持ち帰ろうとした爆弾が爆発・・・などなど、もはや中東情勢が伝わるときかならずでてくるイラクの隣国・ヨルダン王国。
ヨルダン王国は正式名称を「ヨルダン・ハシミテ王国」といいます。「ハシミテ」とは「ハッシム家の」という意味。20世紀初頭までイスラム教の聖地メッカを治めていた名門の家柄です。
サウジアラビアという国名も「サウード家のアラビア」という意味ですからね。国名の由来はサウジに似ています。政情もサウジ同様、国王が大きな権力を握る国家です。
王朝の建設は1920年代ですが、イギリスの委任統治を受け独立したのは1946年。このあたりはイラクと一緒。だから、国境線に直線が多いのもイラクと一緒。このあたりは、記事イラクの国境はなぜ直線?をご覧ください。
1948年、隣国イスラエルの独立をめぐって第1次中東戦争に参加。いわゆる「ヨルダン川西岸地区」を併合しますが、1967年の第3次中東戦争でイスラエルに占領されます。
しかし1988年、将来のパレスチナ国家建設のためにヨルダン川西岸地区の統治権を放棄。その後この地区は、ガザ地区と並んでパレスチナ暫定自治の地域となっていきます。
1994年にはイスラエルと平和条約を締結。これはアラブ諸国では1979年のエジプトに継ぐものです。(イラクとイスラエルに挟まれた)地理的要素だけでなくこのあたりの「穏健性」が、ジャーナリストを集めるのかもしれません。
1999年、それまで30年以上にわたってヨルダンを統治してきたフセイン国王が死去。アブドゥラー皇太子が即位しています。
1993年には複数政党化で選挙が行われ、また2001年には選挙が見直され選挙権の年齢が引き下げられるなど、民主化の動きも進んでいます。しかし、国王の権力の大きさは、あまり変わっていないようです。
こんなヨルダン、もとはイラクと「兄弟国」でした。