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【最も難関、クルド人問題の解決】
あっちをたてればこっちがたたず・・・アメリカ外交の真価が問われる
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山岳に住む「国なき民」クルド人。彼らはアラブ人同様、オスマン‐トルコの崩壊によって、国を持つはずでした。
1920年、オスマン‐トルコと連合軍が交わしたセーブル条約で、イギリスがクルド国家の独立を約束、ここも委任統治領となりやがて独立・・・という構想を盛り込んでいました。
しかし、思わぬ動きが起こります。トルコで革命が起こり、新しい共和制政府を率いるケマル=アタチュルクがトルコ分断の動きを必至に止めようとします。結果、クルド人地域はトルコ、イラク、シリアなどに分断され、今日に至っているのです。
1946年には進出してきたソ連のもと、クルディスタン人民共和国の独立が宣言されましたが、これも短期間で崩壊。以後、クルド民主党(KDP)、クルド労働党(PKK)などクルド人組織が反トルコ活動を行ってきたのです。
もちろん、イラクでも政府に対する自治獲得運動は行れてきました。しかし、イラク領内のクルド人は300万人程度なのに対して、トルコ領内のクルド人は800万人。実はクルド人、トルコ領内に住んでいる人の方が圧倒的に多いのです。
フセイン政権打倒を目指してクルド人組織を支援してきたアメリカ。しかし、戦争が終わって、イラクのクルド人だけが自治、独立・・・というわけにはいかないでしょう。トルコのクルド人たちもそうしたいはずです。しかし、トルコは「NATOの優等生」とまでいわれたアメリカの同盟国。
クルド人の戦後の処遇によっては、中東に新たな紛争要因をまく結果になりかねません。アメリカ外交の真価が問われるところです。