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北朝鮮の正式名称は?なぜ北朝鮮と呼ばれるのか?韓国と北朝鮮の歴史

なにかとお騒がせの北朝鮮という国。関心が高いわりには情報に乏しく、正式名称すら知らない人が多いのが現状。そこで今回は2回に分けて、北朝鮮についての基本的な知識、北朝鮮が独立するまでの韓国との歴史を解説していきます。

執筆者:辻 雅之

北朝鮮の正式名称は朝鮮民主主義人民共和国。なぜ「北」朝鮮と呼ぶ?

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北朝鮮の正式名称は?なぜ北朝鮮と呼ばれるのか?韓国と北朝鮮の歴史

北朝鮮の正式名称は?なぜ北朝鮮と呼ばれるのか?韓国と北朝鮮の歴史


中国の正式名称は「中華人民共和国」ですがふつうは「中国」、韓国の正式名称は「大韓民国」ですが基本的には「韓国」、アメリカは「アメリカ合衆国」ですがふつうは「アメリカ」とのみ表記しますよね。

では、なぜ北朝鮮のことを表記するとき、「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」(カッコ内が北朝鮮の正式国名)とわざわざ2つの名前をならべて書くことが多いのでしょうか。

たとえば「中国」という表記は「中華人民共和国」の略称、「韓国」という表記は「大韓民国」の略称であり、いずれも相手方を「国家」として認める表記の仕方です。

しかし「朝鮮民主主義人民共和国」という国名にはどこにも「北」という文字はありません。「北朝鮮」という表記は、「朝鮮民主主義人民共和国」の略称ではないわけです。

これは、日本が北朝鮮を国家としてみていないことを示しているのです。日本は現在、朝鮮半島を支配する権利のある国家は韓国だけである、という立場なのです。北朝鮮は、「朝鮮北部にある独立した地方政府」にすぎない、ということなのです。

実際、外務省のホームページで各国を紹介しているページでも、北朝鮮は出てきません。下の方の「地域情報」にようやく出てくる、という扱いです。

しかし、日本には北朝鮮地域の出身者だったり、他のなんらかの理由で北朝鮮を支持する在日朝鮮人の方たちがたくさんいます。そんななか一方的に「朝鮮民主主義人民共和国なんて国ないよ」ということはこうした人々に対して配慮に欠けるかもしれません。

それに日本の公的な立場はともかく、実際には1990年代に入って幾度か中断しながらも、日本は北朝鮮との国交正常化交渉(新聞などでは「日朝国交正常化交渉」と書かれるを続けてきました。

「国交を正常化する」ということは、「おたがいを国家として認める」ということですから、むげに公式な立場がああだからといって日本国中あげて「朝鮮民主主義人民共和国」という名前を封印してしまうようなことをして相手を刺激したくもないわけです。

こうした理由から、「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」という呼び方が定着していると思われます。

▼日本・韓国・北朝鮮での「呼び方」の違い


ちなみに韓国と北朝鮮はいまだに「戦争状態」ですから、おたがいの国家としての存在を徹底的に無視しています。韓国では北朝鮮のことは「北韓」といい、「朝鮮半島」ではなく「韓半島」といいます。反対に北朝鮮では韓国のことは「南朝鮮」あるいは「共和国南半分」といっているようです。

ですから、将来もし朝鮮半島が統一されても、メンツ上「朝鮮」「韓国」という言葉は国名として使えないのではないか。「コリア」の語源ともいわれ中世の国号だった「高麗」を使うしかないのではないか。そんな声も聞かれたりします。

そんな北朝鮮と韓国がなぜこんなに仲が悪いのか、これを決定的にした「朝鮮戦争」について、かんたんに解説していきましょう。
 

朝鮮半と韓国の歴史/島分断を決定的にした朝鮮半島(上)

最初は北朝鮮が半島を制圧する勢いだった

第2次世界大戦で日本が敗北したあと、日本によって統治されていた朝鮮半島は独立を取り戻しました。とはいえ、実際には北から進出してきたソ連軍と、南から進出してきたアメリカ軍のもと、南北にそれぞれ「大韓民国(韓国)」と「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」という、べつべつの政府ができてしまったのでした。これが半島分断の始まりでした。

とりあえず両国はアメリカとソ連の力関係のもと、とりあえず北緯38度線を境界線にし、平和的な統一を目ざそうとしましたが、このころからアメリカとソ連の冷戦といわれる深刻な対立が始まっており、うまくいきませんでした。

▼1948年の半島勢力図
 

こうしたなか、1950年6月25日、北朝鮮軍は突如として境界線を超え、南に侵攻してきたのです。沖縄・フィリピンの軍事基地化に追われて韓国の軍事援助がままならないアメリカ軍の動向をみて、今がチャンスとみたのでしょう。これが朝鮮戦争の始まりでした。

北朝鮮軍は3ヶ月であっという間に半島の大半を制圧しました。これに対し、アメリカはソ連との直接対決に発展しないよう、慎重に韓国を支援しなければなりませんでした。ソ連欠席の国連安全保障理事会でアメリカ軍は国連軍として認められ、「侵略者」北朝鮮軍を「38度線までおしもどす権限」を勝ち取り、反攻に乗り出します。

▼1950年9月上旬の半島勢力図
 

国連軍の最高司令官になったのは当時敗戦した日本を占領していた連合国軍総指令部(GHQ)の総司令官でもあったマッカーサーでした。マッカーサーはただちに日本の吉田首相に警察予備隊の組織を指令します。これが今の自衛隊の前身となる組織です。

さて、「天才的司令官」マッカーサーは「賭け」といわれた奇襲作戦に出ます。一気にソウル南西の都市インチョン(仁川)に上陸、これに成功して北朝鮮軍の補給路を断つことに成功します。形勢は逆転し、逆にアメリカ軍は11月までには半島のほとんどを制圧することになります。

▼1950年11月の半島勢力図
 

しかし、アメリカ軍は北朝鮮を制圧することはできませんでしたし、完全制圧には大きな問題もありました。
 

朝鮮半と韓国の歴史/島分断を決定的にした朝鮮半島(上)

中国も参戦、泥沼化を避けたかったアメリカは休戦を選んだ

半島の大部分を制圧したアメリカ軍ですが、大きな課題が残っていました。

半島を全面的に制圧してしまうと、ソ連がどう出てくるのか。ヨーロッパの同盟国が立ち直っていない間にソ連軍との衝突は是が非でも避けなければならない。そんなことなか、今後の対応に迷っているアメリカを混乱させる、新たな出来事がまたしても突如として起こってしまいました。

1949年共産党のもと中国統一を果たした中華人民共和国が、10月になって突如として参戦したのでした(義勇軍の形で)。アメリカ軍は新たな敵の出現に混乱し、ふたたび退却をはじめます。

▼1951年1月の半島勢力図
 

とはいえ、軍事力ではアメリカ軍がまさっていることはいうまでもなく、司令官マッカーサーは軍事力を増強して中国での原爆使用も含む中国爆撃を主張、実行しようとします。

しかし、ソ連との全面対決を是が非でも避けたいアメリカ政府はこれを却下、マッカーサーは解任されます。やがて戦争は膠着(こう着)状態に陥り、1952年今の休戦ラインが設定され、ひとまず戦争は集結することになりました。

▼現在の半島勢力図
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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