(2002.10.29)

1ページ目 【最初は右派政党だった? 社民党の歴史からチェック】
2ページ目 【社会党と共産党、外交路線の「ねじれ」】
3ページ目 【社民党の功罪と今後】

【最初は右派政党だった? 社民党の歴史からチェック】
「徳川侯爵党首構想」から「左派の支配権確立」までの紆余曲折


拉致問題に揺れる社会民主党(社民党)。「拉致問題はない」北朝鮮の言葉をマトモに受けていた態度に、批判集中の苦しい状態です。その話をする前に、まずは社民党の前身である社会党の歴史から1ぺーじでざっと(^^;)振り返っておきましょう。

社会党が当初、右派主導で結成されたことは意外と知られていません。なにせ、尾張徳川家の血を引く徳川義親侯爵や、元大政翼賛会事務局長などが当初党首候補に上がっていたくらいなのですから。

そして社会党は、右派最大勢力の西尾派主導のもと、太平洋戦争敗戦後3ヶ月弱ではやくも結成、1947年には連立政権ながら片山委員長を首班とする片山内閣を作るなど、日本の戦後政治の中心を歩むかに見えました。

ところが、この片山内閣時代から左派と右派の対立が激化。保守勢力との抗争よりも党内抗争の方が激しい、というくらいで、激動に激動の末、労働組合(総評)をバックに持つ左派が党内支配を確立、右派は次々に離党していきました。

その後、日米安保闘争でもりあがったもつかのま、自民党の好調な経済政策の前に社会党は伸び悩む一方。公明党や共産党の健闘もあり、1970年代、自民党が逆に大幅な勢力縮小に悩んでいたときや、1990年代初頭の「おたかさんブーム」によっても、政権を奪取することはできませんでした。

そして1994年、自民党との連立で村山委員長を首班とする村山内閣が成立。しかしこれにより支持層はかえって減少。1996年、党名を社会民主党に改めますが、議員の大半が民主党に移り、小政党に転落してしまいました。

▼社民党の歴史


次のページでは、共産党ではなく、社会党が北朝鮮はじめ社会主義国と仲良くいくようになったのか、そのあたりをお話しましょう。