(2002.06.30)
1ページ目 【トルコはヨーロッパの源流?】
2ページ目 【「キリスト教の東ローマ」から「イスラムのトルコ」へ】
【トルコはヨーロッパの源流?】
「哲学の父」はトルコに住んでいた!
W杯で日本を破ったトルコ。どんどん勝ち進み、3位決定戦に勝って初の3位。アジア初の3位ならなかった韓国、残念でしたね・・・って、あれ?
そう、「トルコ」は「アジア」じゃ、なかったのか? そう思った方、結構多いのではないでしょうか。
このテーマ、実はずいぶん奥の深いもので、かつむずかしいものです。大学時代、「欧州政治」という科目を受けましたが、この講議、4分の1はトルコ史を扱っていました。トルコ史を扱わないと、たしかにヨーロッパ史は語れないのです。
それでも、トルコがヨーロッパかアジアか、という答えはその講議を通じても、自分の中ではわからずじまい。むずかしい問題です。
とりあえずトルコの歴史をわかりやすく解説してみましょう。
トルコはギリシアやバルカン半島と同じく、地中海の東側に位置しています。ソクラテスやプラトン、アリストテレスといった大哲学者を生んだギリシアの思想が、ヨーロッパ思想の大きな源流になっているってことは、何となくみなさん知っていることと思います。
この「古代ギリシア思想」、けっこう今のトルコでも展開されていたんですね。ギリシアからちょっと海を渡ると小アジア、つまりいまのトルコにたどりつけますから、このあたりはギリシアの都市国家の植民都市となっていて、そういう思想家たちもたくさんいたんですね。
特に多くの思想家がいたのがアジア側トルコの南部の都市「ミレトス」で、「哲学の父」とよばれるタレスなんていう人はここ出身だったりします。
やがてローマ帝国が地中海沿岸・ヨーロッパ全土を支配するようになりますが、そこでもトルコ地域は文明の中心として発展していきます。4世紀には今のイスタンブールにあたるコンスタンチノーブルにローマ帝国の首都が移され、1000年にわたって続く東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の都として繁栄していくのです。
また、同時にローマにならぶ大教会がコンスタンチノーブルに建設され、カトリック・プロテスタントにならぶキリスト教宗派「ギリシア正教」の総本山としても、この都市の持つ意味は重大でした。
このまま今に至れば、いま「トルコ」とよばれている地域はまちがいなく「ヨーロッパ」といわれたことでしょう。しかしその後、「トルコ人」「イスラム教」の進出により、この地域は大きく変動していくのです。