1ページ目 【トルコはヨーロッパの源流?】
2ページ目 【「キリスト教の東ローマ」から「イスラムのトルコ」へ】

【「イスラムのトルコ」はアジアかヨーロッパか】
イスラム教=非ヨーロッパ、という思い込みは危険


1000年にわたって繁栄を続けた東ローマ帝国でしたが、1453年に滅亡します。滅ぼしたのは、イスラム教の民族、トルコ人でした。

トルコ人とよばれる人たちは紀元前3世紀には中国の歴史書にも登場するなど、最初は中国の西北、いまの中央アジア東部あたりに住んでいた民族です。

実際、カザフスタンやウズベキスタンなど中央アジア諸国には、多くのトルコ系民族が住んでいます。

いろいろな国を作りながら西に移動してきたトルコ系民族は小アジア地域にセルジューク王朝などを経てオスマン帝国を建設。これがあっという間に中東、北アフリカ、小アジア、バルカン半島を含む広大な地域をその支配下においてしまいます。

1529年と1683年にはあいついでオーストリア帝国の首都ウイーンを包囲。陥落させることはできなかったものの、その後もヨーロッパのキリスト教社会にとって、大きな脅威となりました。

ただ、オスマン帝国は侵略一方の国ではなかったことは書き添えておきます。貿易振興のためキリスト教徒などの国内での権利保護にも積極的で、16世紀にはフランスと条約を結び、はじめて「領事」の派遣を受けたりしています。

そんなオスマン帝国ですが、産業革命によって力を伸ばしてきたヨーロッパ諸国の巻き返し、自国の征服民の独立運動などによって、やがて力が衰え、20世紀初頭には今のトルコとイラク、中東地域のみがその領土となります。

やがて第1次世界大戦でドイツ・オーストリアら同盟国として参戦してしまったため、イギリス・アメリカら連合国に敗北、今のトルコ領のみとなってしまい、帝国も革命で共和国となり、現在に至っているのです。

ちなみに第1次世界大戦のとき、敵国であるイギリスがトルコ領だったパレスチナをかく乱するため、パレスチナ人の独立運動を支援するのですが、同時にユダヤ人たちにもパレスチナでの国家建設(今のイスラエル)を約束してしまった。これが、今に至るイスラエル・パレスチナ紛争の源流といわれています。

共和国となってからは、トルコの父と呼ばれるケマル=アタチュルク大統領のもと、政治・経済・文化の両面で改革が進行。イスラム教国でありながら政治・宗教の分離がすすんでいます。

また第2次世界大戦後にはアメリカを中心とするNATO(北大西洋条約機構)に加盟しヨーロッパの安全保障に参加。またEU(ヨーロッパ連合)の準加盟国となり、経済的なむすびつきを強めています。

さあ、トルコははたしてアジアなのかヨーロッパなのか? なかなかむずかしい問題ですが、トルコとヨーロッパのつながりの深さについては、お分かりいただけたのではないかと思います。

イスラム教だからとか、アジア系だからということでトルコをアジアである、ヨーロッパではない、という風に考えるのは、少なくとも早計というか、大事なことが見えてこないおそれがある。そのことだけは、強調しておきます。

私は、「トルコが自分たちをヨーロッパと思い、ヨーロッパも受け入れるんだったら、やっぱりヨーロッパだろう」と思います。みなさんはどう思いますか?


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