日本のODAは、戦後の経済復興がおわり高度成長が始まりはじめた1960年代から本格的にはじまりました。
特に名実ともに「経済大国」化をはたした1970年代後半からは、中国や韓国・東南アジアや大平洋地域を中心とした巨額のODAが展開されていったのです。
その結果1991年には日本は世界最大のODA援助国(ドナー国)となり、今日にまで至っています。毎年1兆円前後、実に全世界のODA支出の4分の1を日本が支出しています。
もっともGNP(国民総生産)との比率はあまり高くありません。経済規模からすると、まだまだODAを増やす余地はあると思われます。
なぜ日本はここまでのODA大国になったのでしょう。
その背景として考えられる1つ目の事情は、日本が持つ「太平洋戦争での負い目」です。日本のODAはアジア・大平洋地域を中心に行われてきました。この辺は日中・太平洋戦争で戦場となったり、日本軍が侵攻してきた地域です。それについての賠償代わりというかお詫びの意味があって巨額の援助がつぎこまれてきたという側面があります。
特に日本は中国に対して多額の援助(有償援助(円借款)が中心)を行ってきていますが、これは1972年の日中共同宣言で中国が戦争の賠償請求を放棄していることで、まさに「賠償代わり」のODAが展開されていったといえるでしょう。
ODA大国化、2つ目に考えられる背景は「アメリカとの関係」です。貿易とくに輸出で経済大国化を果たした日本。巨額の貿易黒字をためこんでいったため、経済不振になやむアメリカと「貿易摩擦」といわれる対立をおこすようになります。
それに加えて日本は憲法の規定によってアメリカとの軍事協力を十分におこなわないできたので、やがて日本は「儲けるだけ儲けて血を流そうとしない」というような批判にさらされるようになっていました。
このような批判をかわすため、日本は「ためこみすぎた貿易黒字」を、「ODAとしてアメリカの戦略上重要な地域にがんがん行う」ことによって、その同盟関係に貢献しようとしてきたのです。
80年代の日本による韓国、タイなどへのODAは、このような戦略上の意味合いがあったように思われます。
もちろん3つ目の背景として「日本のアジア・大平洋地域への経済進出への意欲」をあげないわけにはいきません。ODAを用いて各国政府との関係を良好にし、日本の経済進出を容易にしようとしたことはいうまでもないでしょう。
こうした日本のODA、その「援助の質」というものがずいぶん問題になっています。そうした問題点について最後に解説していきます。