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オリンピックは「政治」か「商業」か(2ページ目)

いよいよ迫ってきたソルトレーク五輪。これを機に、オリンピックと政治とのつながりについて、歴史を踏まえて解説してみることにしました。オリンピック前でも後でも、ぜひ。

執筆者:辻 雅之

【深刻化したオリンピックの「政治化」】

第2次世界大戦後、さすがにヒトラーが行ったような露骨な政治利用は影をひそめます。しかし、一部の国はソフトながらも効果的なスタイルでオリンピックの政治利用をすすめます。つまり、スポーツ選手を養成してオリンピックでばんばんメダルを取り、国力をアピールするという方法です。

これは特にソビエト連邦(現ロシア)や東ドイツ(現ドイツ)など社会主義国が得意としたスタイル。もっともソ連の冷戦的ライバル・アメリカも負けじとスポーツ振興に力を入れていました。しかし独裁政権下で国力をフル動員することができた社会主義国陣営の前ではなかなか勝つことができませんした。

そんななか、テレビ中継や衛星同時実況中継がはじまったりして、オリンピックのイベント性はますます巨大化していきます。そうしたなか、オリンピックをただ単に国力アピールの道具としてだけではなく、政治的対立や紛争を解決するための道具として利用しようとする動きが現われはじめるのでした。

その先駆けとなったのが1952年のヘルシンキ大会です。この年おこったさまざまな紛争(スエズ戦争、ハンガリー動乱など)にからんで、数カ国が参加をボイコットしたのです。1968年のメキシコ大会では黒人差別を続ける南アフリカを制裁する形で、オリンピックへの参加が取り消されたりしました。

これが最悪の形で現われたのが1972年のミュンヘン大会でした。パレスチナゲリラが選手村に侵入してテロ活動を行い、当局との争いのなかで多くのイスラエル選手が命を落とすという事態となってしまったのです。

そして1980年、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議するためアメリカ・日本をはじめ多くの国々がモスクワ大会をボイコットするにいたり、「平和の祭典」としてのオリンピックの権威は地に落ちます。オリンピックが政治化してしまった現状への批判が世界的に行われるようになりました。

とりわけ「政府が選手の気持ちを無視して勝手にボイコットを決定」した点にはおおくの批判が集まりました。特にアメリカで政権の座にあったカーターにとって、ボイコット決定は同年の大統領選挙で「弱腰カーター(外交でその弱腰ぶりが目立っていた)」のイメージを払拭(ふっしょく)したいものだという見方もあり、余計に「オリンピックの政治化」の弊害が目立つ結果となりました。

次のロサンゼルス大会でも報復としてソ連など東側諸国がボイコット。もはやオリンピックの存在意義が問われる事態となりましたが・・・しかし、このロサンゼルス大会から、オリンピックの「脱政治化」が始まり、オリンピックはその息を吹き返していくのでした。次のページでみていきましょう。
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