最初の公判
2005年10月19日に開かれた最初の公判では、1982年に143人のシーア派を虐殺した容疑の審理が行われました。しかし、フセインと弁護団は揃って無罪を主張しました。公判中、フセインは裁判長に向かって以下の暴言を吐きました。
フセイン「お前は誰だ?この法廷は何なんだ?」
また、名前を述べるよう言われた時、それを拒否して以下のように答えています。
フセイン「私はイラクの憲法によって大統領と決められている。お前に権限を与えた機関など認めん。こんな無法も認めん。不正に行われているものは正義ではない。こんな法廷に答える気などない。」
結局この日の裁判には予定していた証人が現れなかったので、いったん休廷となりました。また公判日の延期を要求していた弁護団の要求を聞き入れる形でもあったのです。
弁護士の誘拐・殺害
弁護士達に身の危険が迫っている |
その事件を受けて、残った弁護士達は自分達の身の安全確保を強硬に主張するようになりました。裁判のイラク国外、例えばオランダのハーグへの移転。弁護士1人に対して15人のボディーガードを付けることなどを要求しました。またフセイン裁判の弁護士となることの危険性を、国連のアナン事務総長に直接手紙で訴えたりもしました。
しかしながら11月の8日、またしてもフセイン弁護団の1人が殺害されてしまいます。これでフセインの弁護士が殺害されたのは2度目となり、弁護団は身の安全が保証されない限り、この件から降りると主張し始めました。
これに対して裁判長は「今の弁護士がやめたら、別の弁護士を探せばいい」と言って弁護団の主張に耳を貸しませんでした。
この後もさらにドタバタが続くフセイン裁判。続きはその(2)でお話しますので、お楽しみに。
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The Trial of Saddam Hussein(写真及び記事内容提供のサイト)