(2005.05.31)

「イラク戦争は終わった」論について考えていきます。たしかに、今の「治安悪化」は武装勢力の最後のあがきなのかもしれません。しかし、もし「戦争」は終わっているとしても、終わっていない問題は、たくさんあるようです。

1ページ目 【「戦争」は終わっても「戦後処理」はこれからが本番】
2ページ目 【「自由の使者」を自認するアメリカ軍はいつまでイラクに駐留するのか?】
3ページ目 【決して避けて通れない戦後処理──「クルド人問題」と「国連の再建」】

【「戦争」は終わっても「戦後処理」はこれからが本番】

「イラク戦争は終わった」論

4月24日号の読売新聞『地球を読む』には、劇作家の山崎正和氏による『イラク戦争は終わった』という論文が掲載されていました。ハテ、とは思いましたが、確かにそうかもしれません。

まず、とにもかくにも今年1月末、イラクで国民議会総選挙が行われ、「移行政府」が発足しました。選挙の際のスンニ派の大量ボイコットが影を落としますが、確かに民主的な選挙が実現はしたのです。

選挙の結果、シーア派勢力で宗教色の比較的濃い政党同盟「統一イラク同盟」が過半数を制し(275議席中140)、第一党になりました。

とはいえ、わずかながらの過半数で、なおかつ「同盟」自体もさまざまな政党がある「連合」なので、安定性を確保するため、75議席を獲得したクルド人勢力、「クルディスタン同盟」と協定し、スンニ派の一部も取り込んで、挙国一致型の移行政府を誕生させました。

結局、大統領に就任したのはクルド愛国同盟議長のタラバニ氏でした。彼はクルディスタン勢力のなかでは比較的穏健なタイプの指導者で、その調整能力が期待されている、というところでしょうか。

実権を握ることになるのは、統一イラク同盟出身のジャファリ首相です。そしてもちろん、閣僚ポストはシーア派「イラク同盟」が多いのですが、副大統領・国民議会議長には選挙で大敗したスンニ派を起用(ヤワル副大統領、ハサニ議長)。配慮しています。

親米路線の「イラク・リスト」は大きく離された第3党(40議席)となり、大きく勢力を落としてしまいました。

イラク移行政府の発足まで、イラクの政治家たちは揉めに揉めました。これに失望している国民もいるようです。しかし、なんとかながら、シーア派・スンニ派・クルド人の3勢力が移行政府に参加できたのは、それなりに評価したほうがいいでしょう。

イラクの治安は悪化しているのではないか?

さて、くだんの山崎氏の論文の後、イラクの治安はまた悪化しています。ご存じの通り日本人の被害もあったりと、心配なところです。

しかし、前の内戦状態(サドル派や、ファルージャ武装組織との「戦闘」)に比べると、いま行われているテロ行為は「大きな犯罪」程度のものといえます。行き場所を失った過激派の最後のあがき、そんなところでしょうか。

局所的に見ると問題だらけのイラクですが、事態は少しずつ、いい方向に向かっています。少しずつ、なのですが。

思えばカンボジア和平も紆余曲折あり、日本人の犠牲者も出て、一時は絶望的に感じる人もでてきました。突発的な戦闘も起こりました。しかし、あれから10年あまり、なんとかカンボジアもよくなりつつあります。

イラクについても、悲観せず、長い目で支援していくべきなのでしょう。

戦闘は終わっても、「戦後処理」はこれから

しかし、だからといって、それで手放しで喜んで、「終わった、終わった」で片付けてはならないのです。ブッシュ大統領はイラク総選挙の結果を「パープル革命」(投票で紫色のインクを使ったことから)とよんでやや呑気に絶賛していますが。

まあ、絶賛はいいとして、それでもう終わり、ではすまされない問題が多々あるのではないでしょうか。「イラク戦争」は終わったかもしれませんが、「イラクの戦後処理」はこれから、なのです。

日本の歴史が、この「戦後処理」の重要性を、反面教師的に証明しています。日本は1945年、連合国に無条件降伏して、太平洋戦争は「終結」しました。そして、イラク人よりはるかに従順に占領政策を受け入れました。

しかし、日本の「戦後処理」は、今なお、終わっていません。歴史問題しかり、領土問題しかり、ほかにもさまざまな問題が横たわっています。もうすぐ終戦から60年もたつというのに。「戦後処理」の難しさを改めて認識させられる昨今の情勢です。

ドイツ(旧西ドイツ)は、フランスなど隣国との友好を深めることこそが「戦後処理」だという「戦略」を持っていました。そして100年戦争(普仏戦争→第1次大戦→第2次大戦)の構造は打破され、この両国の友好関係をもとに、EUは発展していったのです。

サダム=フセインの処遇問題(1)~第1義的責任はフセイン

さて、では「イラクの戦後処理」とはなんでしょうか。いろいろありますが、治安の問題は、先にも行ったように、少々楽天的かもしれませんが、いずれ収束するとしておきます。

まず当面、アメリカなど(もちろん日本も含む)有志国連合が直面するのは、「サダム=フセインの処遇」ということになるでしょう。

先の山崎氏が論文で指摘していたように、確かに、イラク戦争の第一の責任者は彼です。彼が、素直に査察を受け入れ、妨害行為などをしなければ、戦争は起こらなかったでしょう。

彼は「素直に査察を受け入れた」ではないか、と思っている方がいらっしゃれば、それはサダムによるプロパガンダに引っ掛かってしまったとしかいいようがありません。もっとも、アメリカもプロパガンダの応酬で、当時われわれはひどく混乱させられたわけですが。

彼は査察を受け入れつつも、肝心なことはあいまいに終始し、そしてわざわざ疑惑のある場所から見つかるように大量にトラックを移動させて、英米の疑念をわざと煽りつつ、大量破壊兵器そのものは作れていないので証拠は出ないわけですから、「英米は言いがかりだ」と言い放つことができたのですね。

彼は、湾岸戦争の再現をしたかったのでしょう。戦争では負けても、かえって、アメリカの支援があると信じて蜂起したシーア派勢力やクルド人勢力の駆逐に成功し、中東の人民からは「英雄」といわれた──そんな、一身の都合のために、再度イラク国民の生命を危険にさらしたのです。

とはいえ、彼の処遇をどうするか、これは深刻な問題です。これを間違えてはなりません。感情論で「死刑!」……たしかに、そのような罪状を残した人物ですが、それは正しい選択なのでしょうか。次ページで考えていきます。

◎2005年1月総選挙によるイラク国民議会勢力図