早朝に阪神・淡路大震災が発生
1995年1月17日、午前5時48分。阪神・淡路大震災が起こります。ドーンという音と衝撃によって、Nさんご夫妻は目がさめました。大きな横揺れで、テレビが大きく動きましたが、暗くてよく見えません。揺れがおさまった後、「落ち着いて」と心に言い聞かせて照明をつけましたが、点灯しませんでした。
明るくなってくると、家の中の惨状が明らかになってきました。食器棚やサイドボードが倒れたため、食器があちらこちらに。食器棚のガラスが割れ、食器が散乱した室内は、うかつに動くとケガをしそうで、歩けません。
地震による被害。室内のクロスに小さな亀裂ができました。壁に白く補修されているのがその部分です |
しかし、建物自体の被害は、ほとんどありませんでした。窓ガラスは1枚も割れず、窓・ドア・雨戸は、どれも変わりなく、開閉も問題なし。実際の被害は、室内のクロスが切れたこと(1階に3カ所、2階に2カ所)、玄関の外のタイル目地にひび割れができただけでした。
Nさんの奥さまは「わが家はたいしたことがなかったので、よその家もそんなものだと思っていました。家具が倒れて室内はひどい状態だったので、早く片づけようと思った」と、当時を振り返ります。しかし、本当はそんなものではありませんでした。
震災当日に自宅で眠れる幸せ
当時の惨状について、Nさんはこうおっしゃいます。「今でも思い出すのは、避難所でのことです。近くの小学校の体育館が避難所になり、ボランティアの人たちが炊き出しをしてくれたのですが、体育館には、亡くなった人の遺体も並んでいました。焼き場も被災しているし、道路もひどい状態だから遺体を運べないんです。だから、そのまま並べてある。カーテン1枚をはさんで、こちら側では炊出ししているわけですよ。そういう場面を目の当たりにすると、無事でよかったなと思うと同時に、複雑な気持ちでしたね」。
また、ご近所で実際にあったこととして、「すぐ近くのつぶれかけた家の中に人がいる。でも、助け出せない。応援も来ない。そのうちにその人は冷たくなってくる。どうすることもできなくて…」。
しかし、震災当日の夜、Nさんはご家族全員、自分の布団で眠ることができました。家がなんともなかったからです。阪神・淡路大震災を築10年の家が無傷といっていい状態でのりきったのです。
安心感が長く暮らせる家の価値
震災後、震度3程度の地震でも、ご近所の人たちは家を飛び出てくるそうですが、Nさんは再び同程度の地震あっても大丈夫だと確信しているそうです。
Nさんは、地震のときに食器棚などが倒れてガラスが散乱したので、家具が倒れないように天井と家具のすき間を埋めるようにしているそうです |
自分が選んだ住宅の基礎や構造に自信をもっているからですが、震災後まもなく、メーカーの担当者が調査をして「問題なし」と太鼓判を押してくれたことも安 心材料になっているのだとか。Nさんの家と同じへーベルハウスは、阪神・淡路大震災で1棟も倒壊しなかったそうですが、そのことを積極的に広告に利用せず、「まずは調査、という姿勢にも好感がもてた」と語ります。「家というものは、建てたらハイさようならというわけじゃないですから、住宅メーカーの姿勢は大事ですね」とNさん。
「大地震があっても家が大丈夫なら、心配はいらない。壊れなくても家が傾けばそのまま住むのは不安だが、わが家は安心感がある。それが大きな価値」。
安心して暮らせることこそが、長く暮らせる家にとって重要なことをNさんは被災体験を通して、教えてくれました。