住宅工法/耐震住宅・住宅工法

大地震で残った家は大丈夫? ー阪神・淡路大震災編ー

阪神・淡路大震災で一部損壊となった家は、その後どうなったでしょうか。補修費用はどのくらいかかるのか、補修をすれば、問題なく暮らすことができるのか。被災してもを生き残ったある家についてお話ししましょう。

大塚 有美

執筆者:大塚 有美

長く暮らせる家づくりガイド

2005年1月、新潟県小千谷市のある旅館で、お風呂場の屋根が雪の重みで崩れ落ち、入浴中の二人の男性が亡くなるという事故が起こりました。事故の直接の原因は、隣接する建物の屋根から落ちた大量の雪が、浴室の屋根を直撃したということでした。その年の雪は湿り気が多くて重く、そのためかなりの荷重が浴室の屋根にかかったようです。新聞の報道によると、この浴室は2004年10月の新潟県中越地震に被災し、「半壊」の認定を受けていたのだとか。応急処置をして使用していたようですが、建物は築40年以上を経過した建物で、地震と老朽化で弱くなっていた可能性もあると見られています。

このように、生き残った建物でも、震災の影響だと思われる損傷が、後々でてくることがあるのだと、改めて知らされた事故でした。

さて、以前の記事、阪神淡路大震災を乗り越えた!ーNさんの家編ーでお伝えした、兵庫県西宮市のNさんの家の周囲でも、このようなことがたくさんあったとお聞きしました。今回は、震災を乗り越えたと思われる家に残された傷跡についてです。


震災で生き残った家に残された傷跡

Nさんのお宅に取材でお邪魔したときに、Nさんはご近所を案内してくれ、さまざまな震災の傷跡を見せてくれました。その中には、山陽新幹線の高架の橋脚の補修の後や、トンネルの入口のたくさんのひび割れなどがありましたが、私が一番興味をもったのは、やはり一般の住宅についての話でした。

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山陽新幹線のトンネルにたくさんのひびが残っていました。地震の傷跡です

Nさんのご近所には、倒壊した家も多かったそうですが、Nさん宅を含め、生き残った家が何軒もありました。しかし、一見なんともなさそうに見える家を注意深く見ると、阪神大震災の傷跡を残しているものが多くあったのです。

それはアルミサッシの窓の四隅から走る、外壁のひびでした。
 

窓の四隅から走るひび、屋根まで続く長いひび!!

比較的新しく見える住宅でも、窓を見ると、サッシのコーナーからひびが走っていました。少ないお宅でも窓の上のコーナー2カ所から30~50cmのひびが、多い家だと窓という窓の四隅すべてから、屋根まで届くような長いひびが走っていたのです。しかも、こういった家は1軒や2軒ではありませんでした。

これらの家に住む人たちは、震災後は、地震があると家を飛び出してくるそうです。このことについてNさんはこうおっしゃいます。「揺れを感じると、近所の人たちは外へ飛び出してくるんですよ。あれは、不安だからでしょうね。家にひびがたくさん入っているから。実際に「怖くて」という話を聞いたこともあります。安心して住めなくなったんでしょうね」。

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西宮市のある住宅街。地震によって、建て替えられた家が多かったのか、比較的新しい家が目立ちます

このお話を伺った直後、私は、まだ、地震によってひびの入った家でも、補修すれば住めると思っていました。確かに、補修費用は必要ですが、家が残っていれば、損傷部分を修理することで、また住める家になるのだろうと思っていました。実際にご近所に、そういった家もあるのではないかと思い、Nさんに尋ねました。

その答えとしてNさんが話してくれた話は、意外なものでした。
それについては次ページでご紹介しましょう。


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