これまで、阪神・淡路大震災を乗り越えた!ーNさんの家編ー、大地震で残った家は大丈夫? ー阪神・淡路大震災編ーと続けて、兵庫県西宮市のNさんのお住まいとお話を中心にレポートしてきました。阪神・淡路大震災を無傷に近い形(壁紙に数カ所の傷だけ)で乗り越えたNさん一家。では、震災直後から何ごともなく、らくらくと過ごせたのかというと、やはりそうではありませんでした。
地震対策というと、躯体の補強などを思い浮かべますが、今回は、室内に潜む意外な危険性や、被災後の生活を想定とした地震対策に目を向けていきたいと思います。
Nさん宅では、1階に3カ所、2階に2カ所、壁のクロスに小さな亀裂(写真で白く補修してある部分)が入りました。しかし、室内の被害らしい被害はこのくらいですんだのだとか |
固定していない家具は凶器になる?
Nさんには二人の息子さんがいらっしゃいます。1995年のお正月、阪神・淡路大震災が起こる2週間程前のこと、ご長男が帰省されたとき、次男の弟さんの寝ている部屋を見て、なにげなく「ここに寝ていて地震が起こったら大変だぞ」とおっしゃったのだとか。なぜなら、弟さんの部屋には、本がぎっしりと入った大きな本箱が2つあったからです。その2つの本箱が置かれていたのは、まさに弟さんの枕元でした。
その2つの本箱は、震災で倒れてしまったそうですが、弟さんは震災の当日、スキーに行っていて不在でした。Nさんの奥さまは「次男がいつものように部屋で寝ていたら、とんでもないことになっていたに違いない。死なずにすんだとしても、首の骨を折るなど、重症だったと思う」とおっしゃっていました。
Nさん宅の食器棚。地震の揺れで食器棚が倒れないように天井と家具の間に箱を詰めてあります |
いかされない過去の教訓
「わが家の近所でも、たくさんの人が家具などの下敷きになって亡くなりました。割れたガラスが原因で出血した人も多かったけれど、ケガをしただけでも大変でした。なぜなら、病院も被災して、いろいろな機能がマヒしているから、大出血してもとめられない。風呂も入れないから、衛生状態が悪いでしょ。感染症をおこす可能性もあるんですよ」とNさんは当時を振り返り、ケガでも大きな危険があることを教えてくれました。
「家が大丈夫でもいろいろなものが倒れてきたら、それで頭を打って亡くなるということもあります。あの当時は杖をついて歩いている人が多かったですね。たぶん足や腰を強打した人が多かったのでしょう。頑丈な家を建てても、タンスやテレビなど、大きな家具のそばでは寝ないでほしい」と、奥さまもおっしゃいます。
2003年7月の宮城沖北部地震、2004年9月の紀伊半島地震、2004年10月の新潟県中越地震など、2003年から2004年にかけて国内で発生した3つの大地震の被災地の住民500人を対象に、読売新聞社が行った聞き取り調査では、震度6級の揺れに見舞われた地域では、8割の家庭で家具類が室内に激しく散乱し、ケガの原因の約6割を占めたことがわかっています。 阪神・淡路大震災の教訓である「家具の固定」は、意外と実行されていないのです。
実は、家具の固定だけでなく、そのほかにも大きな危険がありました。それについては次ページで説明しましょう。