世界中の注目を集めるベルリンの復興計画、世界中の建築家の知恵を形にした巨大プロジェクトポツダム広場の再開発は十数年たち、新しい街が出現しました。ベルリンの新しいスポットの見学ノートです。でもあまりにも巨大すぎて全貌がつかめず、現地ではウロウロするばかりでした。
ベルリンにどうして富士山があるの?左の写真、ドイツ連邦議会議事堂の屋上から撮ったディアガルデン公園の森の先に見えるのがポツダム広場の再開発の建築群です。偏心した円錐のテント、富士山を連想しませんか!ソニーセンターの建物です。設計者ヘルムート・ヤーン氏によると日本的な影響は一切なく、隣接するベルリン・フィルハーモニーの屋根を意識したのだそうです。日本人だけなのでしょうね、SONY→日本→きれいな円錐→富士山を連想するのは!
このソニー・センターは敷地面積約26.500平方メートルにも及び、ソニーは外国資本では最高額の12億マルクを投資したといわれています。高さ69メートルの楕円形の巨大な屋根を複数の建物が取り囲んでいます。映画博物館、三次元シアター、オフィス、店舗、レストラン、カフェなどで構成され、高層ビルの上部には住宅スペースもあります。ベルリンには新築の建物の床面積の五分の一は住居用にしなければいけない規則があります。
戦前のポツダム広場はヨーロッパで最も交通量の多い交差点として、又最初に信号機が取り付けられ、ベルリンいちの繁華街でした。戦争の爆破で壊滅、東西に分裂したあとは、壁沿いのため荒れた価値のない緩衝地帯でした。ベルリンの壁崩壊後、ベルリン市よりいち早くこの土地を低価格で獲得したのがダイムラー・ベンツとソニーの企業でした。統一後13年、ポツダム広場はベルリンの中心地として再開発され、一等地として変貌してしまったと、旅行のガイドさんはため息まじりに話してくれました。
写真は、デービス本社(ダイムラー・ベンツ・インターナシュナル)ビルのアトリウムです。外壁に使われた大型のテラコッタのタイルが内部にも使われていました。やわらかいテラコッタの色が高さ32メートル吹き抜けをやさしく包んでいました。さすがベンツ、あまりにも巨大な空間に圧倒されただ茫然とカメラのシャッターを押すだけでした。
続きもおもしろいよ!おまけの記事、アルマジロの話もあります。