いつの時代も住宅の天敵は「湿度」「結露」だった |
しかし、木造は木そのものにも調湿機能があり、うまく乾燥状態を維持できれば東大寺南大門(築800年)や法隆寺(築1300年)のように千年を超える耐久性を維持できるわけで、この「湿気」をいかに制御するかが、耐久性ひいては耐震性に大きく関わってくるわけです。
研究着手は1979年の第二次オイルショック直前
エス・バイ・エルの「壁体内換気システム」の歴史は驚くほど古く、1979年の第二次オイルショックで日本で「省エネ法」が制定された頃に、業界に先駆けて壁体内の通気・換気の研究に着手。「壁体内換気システム」誕生へのスタートラインになりました。二度のオイルショックで住宅の省エネが叫ばれるようになり、翌1980年に国が住宅の省エネ化を推進するための初代「省エネルギー基準」(次世代省エネ基準の前の基準)が策定され、これ以降、日本の住宅業界の省エネ・高気密高断熱化が一気にスタートしたわけですが、その国の動きに先駆ける形で同システムの研究に着手していたわけですから、いかに先見性があったシステムかが分かります。住宅内の湿気を小屋裏から排出すると、自動的に床下に新鮮な空気が入ってくる「呼吸する住まい」 |
国の初代「省エネ基準」ができた1980年には、同システムを搭載し内部結露を防止した初の省エネ住宅を発売。いくつもの特許を取得し、1982年の東京国際グッドリビングショー(このショー、現在ではなくなってしまった)にてシステムを搭載した住宅「ハウス55」を発表。この「ハウス55計画」は、当時の建設・通産両省が国家プロジェクトとして提唱した新住宅供給システムで、エス・バイ・エル(当時は小堀住研)を含めたハスウメーカー3社がエントリーしました。
1980年代の高気密高断熱の弊害問題で一躍脚光
1980年代以降、一気に高気密高断熱が広まったことで弊害が社会問題化した |
こうしたことから1985年、旧住宅金融公庫の工事共通仕様書に結露防止を図る「壁体内通気工法」が追加され、同社のシステムが旧公庫の基準にも採用されました。この出来事でも、同システムの先駆性がうかがわれます。
点検のための窓「Lupe」から構造躯体の乾燥度を定期的にチェック |
さて次ページでは、他の企業の事例も見てみましょう。