建築家・設計事務所/建築家住宅の実例

都住創がめざすコーポラティブハウス コーポラティブの老舗ヘキ

大阪の中大江公園を中心に、20棟のコーポラティブハウスを建ててきた都住創(都市住宅を自分たちの手で創る会)。その仕掛け人でもあり建築家でもあるヘキサ代表の安原秀さんに話を聞きました。

執筆者:坂本 徹也

コーポラティブハウスの本当の魅力は
住民どうしの緩やかな関係性が生まれること



コーポラティブハウスはいつ日本に誕生したのか?
じつはその第1号は1969年にできた下丸子の共同住宅ということになっています。69年といえばいまから33年も前のこと。そんなに長い歴史があったのかとちょっとした驚きを感じますね。そこからは毎年コンスタントに物件は増えていきますが、76年あたりから都住創がつくったコーポラティブハウスが目立って増えてきます。
バブル崩壊後の91年から97年までは空白がありますが、約25年の間に20棟、ずっとコーポラティブハウスづくりを続けてきた都住創(都市住宅を自分たちの手で創る会)はコーポラティブハウスの草分け的な老舗ともいえるでしょう。

大阪に出向いた際にその都住創をたずね、仕掛け人の一人であるヘキサ代表の安原秀さんに話を聞きました。ヘキサは安原さんと中筋修さん(故人)2人の設計事務所でしたが、そこがどうして都住創を始めたのか。安原さんは言います。
「私も中筋も同じ公団住宅に住んどったんですよ。40平米の2DK。そこで子ども2人の4人家族で大変悲惨な生活をしていた。襖をいちいち開けなくても大きな穴が空いていて、子どもたちはそこから行き来できるようなところでね(笑)。で、これはちょっと情けないと。なんとかもっと都心に快適に住めるような共同住宅をつくれないかということで、コーポラティブハウスを考えた。それが発端でした」
つまり、都心に自分ひとりではとても家は持てないが、共同なら何とかなるという発想だったわけですね。仕掛けの第1号は安原さんと仕事のパートナーである中筋さんの2人から始まったわけですが、それが「おもしろい試み」ということで新聞に載るや、一晩で何組もの入居者が集まったそうです。そしてヘキサではこの経験をベースにして、恒常的にコーポラティブハウスをやっていくことになりました。

ここで都住創の第19棟めの作品となる「都住創大手前」を見学させてもらうことにしました。地下2階・地上14階、住居42戸・オフィス5戸という大阪城に面した大型のコーポラティブハウスです。
IT系の会社を経営する福田さん夫婦のお宅は、大阪城のお堀や生駒山が望める高層階にありました。福田さんと奥さんの要望は「とにかく明るくて広いリビング、すべてを見渡せるキッチン、都会的で洗練されたデザイン」ということでした。しかし始めてみれば、ここはこうしたい、やっぱりここはこう変えようと小さな要望点やアイデアは少なからず出てきた。それは思ったよりずっと大変だったそうですが、同時にすごく楽しい経験だったとも----。
「リビングの一画にポリカーボネイトの仕切りをつくって畳の部屋をつくったり、ベランダの一角をつぶして楽器を演奏するコーナーをつくったり、スイッチの位置にこだわったり、いろんな意味で思いきり楽しませてもらいました。家内もキッチンから山並みが見えるこの部屋がすごく気に入ったようです」(福田さん)

壁に設けられた飾り棚があたたかい印象の玄関は、照明が下にあったりするとてもお洒落な空間。ここからすでにふつうのマンションとは違うというにおいがします。玄関の左手には壁にフロストガラスを使ったバスルーム。左手には短い廊下があって先がベッドルーム。正面がかなり広いLDKです。入ってすぐ、リビングの右手には福田さんの話にもあった和室、そしてリビングに続くベランダの一角をつぶした形でドラムの演奏室があります。ここは将来的には子ども部屋になったりもするのでしょう。それにしても広い! いや面積的にはそれほどではないのでしょうが視覚的には相当の広がりが確保されています。

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