「だんなさまが浮気をされたらどうしますか?」
すると、新婦は隣の新郎をちらりと上目遣いに見て、ちょっぴりはにかみながら答える。
「私にわからないようにやってくれればいいです」
この新婦は檀一雄とは一緒にやっていけない。
檀一雄は太宰治や坂口安吾と親交を結び、“最後の無頼派”といわれた作家だ。その真骨頂ともいえるのが『火宅の人』であろう。妻子ある作家が愛人のもとに走ってからの約5年間の生活を描いたこの作品はまさしく私小説であり、途中でモデル問題が起こり、創作が途切れたという事実からも、その赤裸々ぶりは容易に想像できる。
10年来心惹かれてきた入江杏子氏と男女の関係を結んだあと、檀氏は家に戻り、ヨソ子夫人にこう告げている。
「僕はヒーさんと事を起こしたからね」
ヒーさんというのは入江氏の愛称である。
檀氏が類いまれなる快男児であることは、彼と交流のあった多くの人たちが証言している。また、その無軌道な生活を吐露した『火宅の人』を読んでも不思議と嫌悪感は湧いてこない。それはきっと檀氏の人と向き合う姿勢にあるのだろう。誰に対しても真っすぐに対峙し、逃げることをしない。
だが、「あなた以外の女性が好きになり、その人と関係を持ちました」と、夫から告白された妻は一体どうすればいいのだろう。泣くか、わめくか、相手の女のところに乗り込むか、夫に愛想をつかすか……。
ヨソ子夫人はいったんは家を出たものの、結局は戻り、主のいない檀家を支えていくことになる。その時、ふたりの間には5人もの子どもがいた(長男は檀氏の連れ子)。夫人は子どものために戻ったと解釈するのが普通だろう。実際、ヨソ子夫人も檀氏に対して「これからはあなたのことを子供たちの父親としてだけ受け入れる」と言っているし、『火宅の人』でも妻の態度は冷ややかである。
だが、ヨソ子夫人は子供たちのためだけに踏みとどまったのではない。その答えは『檀』の最後を読めばわかる。最後の文章で泣いたのは、ダニエル・キースの『アルジャーノンに花束を』と『檀』だけである。
おすすめ本
沢木耕太郎 『檀』 新潮文庫 476円
檀一雄 『火宅の人』 新潮文庫(上)552円 (下)552円
入江杏子 『檀一雄の光と影』 文芸春秋 1524円
『檀一雄の光と影』は檀氏と約5年間を過ごした入江杏子氏の告白本だ。はっきり言って、この本にはあまり共感できなかった。さりげなく自分の正当性を主張するような書き方が嫌だ。『檀』が出版されたのが1995年。『檀一雄の光と影』は1999年に出ている。完成するのに4年間かかったとエピローグで書いているから、『檀』に対抗して書いたのではないだろうか、と勘ぐってしまう。ちなみに、『檀』は新潮社から、『檀一雄の光と影』は文藝春秋社から。