ヒューガルデン村のピエール・セリス氏
ビール愛飲家の間では名の知れたピエール・セリス氏。彼は、ヒューガルデン村(現在のベルギー)で生まれ育ち、現在もヒューガルデン村に住む、80歳を少し超えたおじいちゃまです。そう、このビールの名前になっている村。肥沃な土地とミネラル豊富な水に恵まれたこの地域のビール醸造は、1318年にまで遡ると伝えられています。この土地で収穫される大麦、小麦、オート麦に、貿易商によってもたらされるエキゾチックなハーブやフルーツを使用して造られたヒューガルデン村のホワイトビールは、近隣の地域でも広く飲まれていたそう。ヒューガルデン村では、16世紀にはビールの醸造者のギルド(組合)が存在し、19世紀には、人口数千人足らずの村に最大35ものビール醸造所があり、すべての醸造所でホワイトビールが造られていたと言われています。
しかし、20世紀に入り、近くの街ルーバン(Leuven)に、ラガータイプのピルスナーを造るステラ・アルトワ(STELLA ARTOIS)が誕生し、ピルスナー市場が台頭します。ホワイトビールは、大量に生産されるピルスナーに対抗することができなくなり、ヒューガルデン村のホワイトビール醸造所は次々と閉鎖。そして、1957年、多くの人々に惜しまれながら、最後の醸造所、トムシン(Tomsin)醸造所が閉鎖されました。
ホワイトビール復活に向かって
さて、1965年のある日、トムシン醸造所のホワイトビールを懐かしみ、復活を強く望む村人たちの間で、ピエール・セリス氏が立ち上がります。レシピなんて残っていなかったそうですが、20歳の頃、家業の家畜業に従事しながらも、トムシン醸造所で見習いとして手伝っていたことのあるセリス氏は、原材料を覚えていたそうです。出来上がったホワイトビールは大好評。商業ベースで造ることを決心したセリス氏は、翌年1966年、友人とともにビール醸造を始めます。白く濁り、酵母が濾過されていないビールは、ステラ・アルトワの本拠地ルーバンの街の学生たちの間でも「ラガーよりもナチュラルだ!」と大人気に。ホワイトビールを知っている世代だけでなく、若い世代にも支持され、ホワイトビール市場を拡大していくことになります。
これが、ホワイトビールが復活し、世界へ広がっていく始まりです。セリス氏の人生の後半のお話と、彼がその後プロデュースしたもう2つのホワイトビールについては、夏真っ盛りの8月にお届けします!
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