ビール/ビール関連情報

明治時代の日本にも輸出されていた「バス」

エール初心者の方にも飲みやすい「バス・ペール・エール」は、文明開化の花咲く明治時代にも日本に輸出されていたという、長い歴史を持つ英国のビールです。バス・ペール・エールの歴史や味わいをご紹介します。

執筆者:レゲット川上 由紀子

1853年のペリー来航で日本に入ってきたといわれるビール。産業として国産ビールが醸造されるようになったのは、明治3年(1870年)のスプリング・バレー・ブルワリーの創業が始まりです。鎖国に終わりをつげ、開港してからの日本で飲まれていたビールは、当然、すべてが輸入品。今回は、文明開化の花咲く明治時代に日本でも飲まれていたという、英国のエールビール「BASS PALE ALE(バス・ペール・エール)」をご紹介します。

230年の歴史を持つバス・ペール・エール

かのナポレオンも愛飲していたという、長い歴史を持つ「バス・ペール・エール」。アサヒビールが日本での販売を行っています。
バス社の創業は、かれこれ230年も前の1777年。ウィリアム・バス(William Bass) 氏が英国中部にブルワリーを構えたのがはじまりです。

瓶詰めにされたバス社のバス・ペール・エールは世界中に輸出され、フランスではかのナポレオンが、アメリカでは、江戸川乱歩の名前の由来になった小説家エドガー・アラン・ポーが愛飲していたそうです。また、あのタイタニック号の処女航海には、500ケースものバス・ペール・エールが積み込まれていたとか。私達の住む日本に目を向けると、明治時代にバス・ペール・エールを輸入していたという記録が残っています。

シンプルな赤い三角マークがひときわ目立つボトルですが、このレッド・トライアングルは、1876年1月1日に登録された英国の登録商標第1号です。記念すべき第1号になりたくて、バス社の従業員は前夜の12月31日から登録事務所の外で待っていたというエピソードまであるそうです。

このバスのレッド・トライアングルは、キュービズム時代のピカソの作品をはじめ、多くの芸術家の作品の中に見ることができます。よく知られているのが、「フォリ=ベルジェールの酒場」。フランス人画家マネがパリのナイトクラブを描いた1882年の作品です。

芸術家の作品の中にまで描かれているのを見たら、これは試さずにはいられません。

次のページでは、バス・ペール・エールを飲んでみた感想をご紹介します。
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