長沼さんの記憶には、父親が自らネルドリップで母親にコーヒーを淹れてあげる姿が残っています。そのおかげで長沼さんも子どものころから苦いコーヒーの味になじみ、札幌の喫茶店にも父親に連れられてよく通っていたそう。
『サヨナラcolor』に背中を押されて
14歳まで北海道で過ごした長沼さんは、長じて東京でアパレル関連会社に勤務。いつか珈琲屋を開業することを漠然と考えてはいたものの、会社の仕事には不満がなく、月日はそのまま流れていきます。
開業への一歩を踏み出させたのは、仕事場のラジオから流れてきた一曲の歌でした。それが当時SUPER BUTTER DOG(現ハナレグミ)だった永積タカシの歌う『サヨナラcolor』。
「本当にやりたいことを実現して生きていない。自分に向かってそう言われているような気分になって涙が出ました。
それからすぐ上司に『コーヒーの道に生きます』と告げて、数ヵ月後に退職しました。年齢を多く重ねると自分を追いこむことが難しくなるだろうと思ったんです。若いうちにせっぱつまってみようと」
尊敬する上司は 「やらないで後悔するより、やってからいっぱい後悔しなさい」と激励してくれたそう。
その後、コーヒーロースターに勤務しながら店舗物件を探しはじめ、青梅街道沿いに建つ築50年ほどの小さな一軒家に出会いました。どこか北海道に通じるような懐かしさを感じて、その場所で珈琲店を開業することを決意。
「青梅はどこかで少し時代に取り残されたような空気の漂う町で、東京のくせに、東京じゃないみたい。町の人たちも都心に出かけるときは『東京に行ってくる』なんて言ってるし(笑)」
そんな、ちょっとぽかんとした街角に浮かんでいるねじまき雲。なんともいえない味わいを醸しだす古ぼけた扉や窓枠は、青梅公会堂が取り壊されるときに廃材を譲り受けたもの。店内に置かれた家具は、時を経たものを愛する両親のもとで骨董に囲まれて育ったため、ごく自然に集めて(拾って?)いたという古道具の数々。
白壁に映える大きな美しいバネのオブジェを見上げていたら、それは空き地に埋もれていた古ソファのスプリングだというのです! なんの手も加えずに、そのまま飾ったのだとか。
そもそも「空き地で発見」という行為じたいが少しばかり浮世離れしたものに感じられるのですが、長沼さんは幼稚園の頃にはすでに空き地で砂鉄や苔を集めていたのですって。きっと道草ばかりしている素敵な子どもだったのでしょうね。